「となりのトトロ」を100回見ても、見えないもの

こ初々さんの大好きなアキちゃんから、2歳のお誕生日に「となりのトトロ」のDVDをもらって以来、トトロにお付き合いさせられて、もう何回見たか分からない、オット初々です。
何なのでしょう、あの2歳児をひきつけて止まない魅力とは。その物語性に初々さんなどは、何度見ても泣きそうになってますが、2歳児のこ初々さんに物語性が十分に伝わっているとは思えないし。いや、最初の引っ越しの場面で「お母さんどこ行っちゃったの?」なんて訊いてきますから、まるきり物語性が分かってないわけでもなさそうですが。ただ、お母さんがいなくて、幼い妹(めい)のめんどう見ながら頑張っているお姉ちゃん(さつき)の折れそうになる心・・・・・、とここまで書いて気が付きました。「さつきとめい」どちらも五月でした。そういえば、物語の季節は田植えの時期。“田植え休み”で学校がお休みなるメイですねぇ。で今、この発見をかなり得意げに初々さんに報告したら、「えっ、今頃気がついたの」ですって。ガックシ。

で、2歳児と一緒に何度もトトロを見ている私ですが、最近はどうしても父ちゃんの視点で見てしまいます。あの父ちゃん、かなり能天気な人ですよね。家から遠く離れた七国山病院の窓辺に、めいの字で「おかあさんへ」なんて書かれたトウモロコシを見つけたら、普通なら驚いて心配しますよ。なんでここにこんなものがあるのか、めいがここまで来たのか、一人で来たのか?などなど。それが全然驚いた風でもなく、「案外そうかもしれないよ」なんてノンキなことを言ってます。でも、あの能天気さがあのお父さんの重要なキャラクターなのじゃないかと思うようになってきました。お父さんの能天気さは、彼が目に見えないものを信じることのできるひとだから。あるいは、目に見えないものを見ようとする人だから。その表れとしての能天気さなのではないか。そういう意味で、彼の職業が“考古学者”という設定が頷けます。残された遺物から、かつてあり、今はなくなってしまったものを見ようとする人だということですね。彼がああいう人だからこそ、さつきもめいも見えないものが見える子どものままで育ってきた、ということでしょうね。いや、あのお母さんも、最後の場面で見えないものが見える人だと分かりますね。あの父母にして、あの子たちあり、か。

子どもと一緒にいると、“見えないものを見る”という経験はよくします。もちろん私ではなく、こ初々さんのことです。何にもないところを、たとえば壁とか、お風呂のタイルとかを指さして、「おばあちゃん」、「おじいちゃん」、「ばんこさん」、「ばんこさんのおかあさん」*1などと名前を呼ぶことがよくあります。が、そこを見ても、それに対応する何かはありません。あるとしたら壁の模様や天井のシミぐらい。でも、きっとそこに、ほんとにリアルな何かを見ているのでしょうね。はっきり名指しする隣で見えない父ちゃんは、なんだか疎外感と劣等感を感じながら、「うんうん、そうだねぇ」と頷くしかできません。あぁ、見える人が羨ましい。

*1:ばんこちゃんは、お友達の名前