“花の3歳”を前にして

大事件です

先ほど、2歳半になる娘、こ初々さんから

「ぼく、お父ちゃんがだんだん好きになってきたの」

と告白されました。
これまで何かにつけて「お父ちゃん嫌い、お母ちゃんだけ好き」といわれ続けてきただけに、やっと母ちゃんに追いつけるのかと期待しています。まぁこの際、「今まではどうだったんだ」、というつぶやきは言わないことにしましょう。

ただ、誤解のないように付け加えますが「お父ちゃん嫌い」とはいっても、それは常に「お母ちゃんが好き」の文脈の中で語られているわけで、絶対的に「父ちゃんが嫌い」なのではなく、「お父ちゃんよりもお母ちゃんが好き」くらいの、相対化された意味、なのだと解釈しております。何はともあれ、父ちゃんの地位が上がってきたのはうれしい限りで、最近、一緒のお風呂も嫌がらなくなったしね。もっとも、「一緒にお風呂入ろうか」と誘うと、「チンチン見せてくれる?」と尋ねてきますので、珍しいものが見たいだけなのかもしれませんが。


2歳も半分過ぎて、“幼稚園”がだんだん迫ってきたこともあり、自分の事はできるだけ自分でさせるように心がけております。が、「自分でやってごらん(やってみようか)」とか「できるでしょ」と促すと、必ず「できないー。父ちゃんやってぇ」と、甘えてきます。無理にやらせようとすると、ますます「できない、できない」の連発。ところが、最初の「できないー」の後で、「じゃ、練習しよう」とすこし方向性を変えてやると、スッと取り組んだりするんですよね。で、実際やるとすんなりできる*1。そこですかさず、「ほぉらぁ、できたじゃないー。すっっごーい。こ初々ちゃんえらーい」なんて大げさにほめてやると「ボク2歳だからね。大きくなったしね」なんていって、得意満面で「おかあちゃーん、みてー、みてー」とさらに承認を求めます*2
でも、何で「練習」だと取り組めるのでしょう。いきなり「本番」ってのがストレスなのかな。失敗してもいい、というニュアンスを感じ取っているのか。あるいは、「練習する」ということ自体になにか“かっこいい感”があるのか。もしかすると「やってごらん」と比較して「練習は」は“突き放されてる感”が薄いのかもしれません。2歳の子どもにとって、自分でどんどんやりたい、という気持ちと、サポートしてもらわないと不安だ、という気持ちが葛藤してるんでしょうね。考えてみれば、「自分でできるでしょ」とは“自立しないさい”ってことですものね。大人にしてもあまりうれしいものではありません。ただ、自分の人生を主体的に生きてゆくには*3「自分はできる」という自信、自己効力感が必要です。

これから身の回りのいろんなものに興味を持って取り組める“花の3歳”がやってきます。今までは、生活の直接的なサポートが中心でしたが、これかは、いろんな遊びや日常生活を通して、チャレンジする心を上手に身につけて欲しい、それを身につけるためのサポートへ切り替えてゆかなくては、と思います。なんだか育児雑誌のようなシメになっちゃいましたけど。

*1:もともと、できそうだと思うからやらせてみるわけで、やったらできる事が多い

*2:具体的には「靴を履く」ことでした

*3:なんだかひっかかる表現だけれど