こんにちは。
かなりご無沙汰してしまっております、がばちょです。
全然、担当の曜日ではありませんが投稿できるときに投稿してみました。
なんとか毎日生きております。
育児休業から仕事復帰してはや7ヶ月過ぎ、ここ最近大仏が夜泣きするので若干寝不足ですがなんとか生活のリズムも整ってきています。
大仏は中耳炎・気管支炎を繰り返し毎週、病院(小児科と耳鼻科)に通っていますがもうトテトテと走り回るほど成長しました。
(中耳炎はなんとか耳鼻科卒業のレベルまで治りました。)
烏帽子は相変わらず仕事が忙しいですがなんとか元気です。

ずっとずっとお休みさせていただいたにも関わらず、普通に書きます。

毎日あまりにしないといけない家事が多すぎるのにも関わらず、時間が絶対的に足りない!ことで発狂しそうなので対策の一つとして食器洗い乾燥機を買ってみました。
もう最高です。
烏帽子に対するイライラ・不満が少し解消されました。
なんで今まで買わなかったんだろうと後悔するくらい、自分の心にゆとりが生まれます。
あれしなきゃ・これしなきゃの焦りが一つなくなることで大仏・烏帽子に対して優しくなれます(ちょっとだけ)。
安い買い物ではありませんでしたが、値段以上の価値があると思います。
ほぼ毎日稼動しています。
毎日使っていると愛着もわいてくるもので、食器洗い乾燥機に「まさはる」(去年から福山雅治にはまったもので)と命名
ちょっと表面に汚れが付いていたりすると「あら、まさはるどうしたと?きれいにしようね♪」などと声をかけながら拭いたりしてます。

最近、しみじみと思うことは大仏・烏帽子に対して少しでも心の余裕がうまれ優しくなれるのであれば家電に頼れるとこは頼っていいんじゃないかということです。
食器洗い乾燥機を買うまではなんとなく「お皿洗うのを機械にやってもらうなんて贅沢かも」って後ろめたさがありましたが、お皿洗ってる横で大仏が一緒に遊ぼうとねだられても遊べないし「ちょっと待ってよ!」と言っても大仏がわかるわけでもなし、お互い(手伝わない烏帽子をみると余計に)イライラするという悪循環でした。
今はそういう気まずい雰囲気になることもだいぶ減りました。

頼れるものは頼りたいシリーズで今、気になっているのは乾燥機付き洗濯機。
職場の先輩お母ちゃんから「子供に対して優しくなれるよ」と勧められました。
気になるなぁ。でも高いなぁ。
家事をほとんど手伝わない烏帽子さん洗濯機買ってください!なんてね、ふふ。

服用中。

産んで、産まれて、明日で10日。
産前の怒濤を思えば、しばしの休みを取っております。
ばあちゃんいわく、産後は「日ぐすり」がいちばんとのこと。
時間が癒してくれるというわけで、いい言い回しだなーと思いました。

そんなわけで、今回は「日ぐすり」服用中で、お休みです。

ネタはたんまり考えてますので、今後、乞うご期待ってことで!

トンビさん無事に出産しました!

こんばんわ〜、がばちょです。
ご無沙汰してます。
今日、我が姉のトンビさんが無事に出産しました。母子ともに元気そうです。
ハハから送られてきたポンコちゃんの写真みてるとなんとなくダンナさん似のような気がします。

みなさん、ありがとうございます!(うれしくてたまらない妹)
取り急ぎ、ご報告まで。

がばちょ

土偶のゆくえ

あはははは、まだ産まれてませんよ。

さすがにここまで粘るとは思ってもみませんでした。今朝、4時ごろお腹が痛くなって「ついに…」と覚悟しましたが「今のうちに眠っておこう」と思って眠って起きたら治まってました。
予定日は17日の月曜日。実は、ヒコも「17日の月曜日」が予定日で、実際は「14日の夕方に陣痛が始まって、15日に日付が変わったとこで産まれた」んですけど、これを書いている今、すでに「14日の夕方」です。今朝、検診だったんですけど「今日の夕方か、土日でしょうけどね…。安静にしないでくださいね。どんどん歩いてください。歩いてたら産まれるでしょう」とのこと。病院で「安静にしないでください」って言われることって、なかなかないだろうな…。

まぁ、もう、産まれるときに産まれるとしか言いようがないですね。
そんでもって、今の自分が、あまりに縄文時代土偶みたいなので感慨深いです。お風呂に入るときに「なんか、どっかで見たことあるな〜」って思ったら、土偶でした。あれって、デフォルメでもなんでもないんですね。ヒコの時はここまでお腹が大きくならなかったので思いつかなかったのですが。そしてもうひとつ似てるのが「熟して落ちる寸前の果物」です。もう、下がっちゃって下がっちゃって。今にも、ボトッ、って行きそうです。…が、行きませんね〜。

こうなると「2人目は早い」っていうのも、やっぱりそれは、そうかもしれないんだけど、自分がそうじゃないこともあるってことですね。そんでもって、自分がそうじゃなかったら、もう、自分にとってはそうじゃない。私にとって「2人目」は「早」くもなんでもなかった。このペースで行けば、「1人目」と同じか、むしろ遅くなるわけですから、今後「2人目」を産もうとする人には「『2人目は早い』って言うけど、私はそうじゃなかったよ〜。産まれるときに産まれるよ」としか言いようがない。
これに限らず、子ども関係のことって、条件反射的に「一般論」が語られがちで、もはやご挨拶的なことにさえなってることが多い気がします。
「妊娠している」→「産まれてからが大変よ〜」
「産まれた」→「ハイハイしだしたら、歩きだしたら、しゃべりだしたら、2歳になったら、…大変よ〜」
「一人は男、一人は女」→「上手だね〜」
などなど。

とにかくもう、だれが何と言おうと、そんときゃそんとき、その子はその子、それがすべてだ、まずはとにかく、目の前の子を見ろ!かなぁ…。

ということで、今日のランチは「揚げづわり総仕上げ」と思い、「牛かつ」を食べました。最後にカツサンドにするのがおいしかったです。

では、良い週末を!

「子育て」は苦手だよ

そろそろか! って、他人事なのにドキドキ。考えれば、人類史上最新の命がひとつ現れるわけで、それが我が腹からだろうが同胞の腹からだろうが、寿ぐべきことに変わりなし。

しかし、私には未知の「自然分娩」なんだよなー。痛いって、どんなかんじなんだろう? 頑張ってね!



子どもは「つくらない」という話でいうと、「子育て」というのも、苦手だ。一緒にいてつくづく感じるのだけど、子どもは勝手に育ってくれる。親こそ、意識的に成長しなければいけない、親であるために。親が親になりきれないで、「子どもが成熟しない、プンプン」と憤ってみても仕方ないのだろう、たぶん。

作家の高橋源一郎氏がこのところ毎晩、夜12時から、「路上ライヴ」的なツイートをしている。そのなかのひとつ。

ぼくが、そんな小説を、なにより好むのは、「正しさの呪縛」から抜け出すやり方を教えてくれるからです。いわく「愛せよ」と。


ここの「小説」を、「子どもと生きること」に変えれば、私が思いたいことと同じ。マイケル・ジャクソンのことばを三砂ちづるさんが引用したのを初々さん(元気ですかー?)が引用したのだったかしら。まず、子どもが親に、無償の愛を捧げる。それを見て、親は、「無償の愛」というものの与え方を学ぶのだ、と。

いわく、「愛せよ」と。


ところで、相変わらず、生まれてから3年と5ヶ月、髪を切ったことのない娘。このあいだふと、「髪って、伸びるんだよ〜。チョキンしても、またにゅーって伸びるの」と言ったら、ハッとした顔をした。そ、そっか、説明したことなかったっけか……。お・ば・か。

死に至る病

・・・とタイトルは重いですが、実はあまり大したことはなくて、先日の親子の会話で次のようなことがありました。

ぼ「ねえ、お父さん、おかあさん。」
チチハハ「何?」
ぼ「絶望ってなに?」

ぜ、絶望って・・・。そんなヘビーな質問をこれから温泉にでも行こうかという車の中でされても、ちと困る。絶望・・・それは死にいたる病・・・なんて或る意味ベタな答えをしようとしたその時。

ぼ「じゃ、スケボーって知ってる?」

なんじゃーっ!その切り返しはーっ!ガクッときたぞ、ガクッと!

ほんとうは最初から「スケボーって何?」って聞きたいところを間違えて「ゼツボー」と言ってしまったのか、それとも答えに窮しているチチハハの姿を見て気を使ったのかはわからないが、とにかく、なにはともあれ一件落着だったのであった。

ほんとのこと言うと、父にとって絶望とくれば「さよなら絶望先生」なのだが・・・。

つくるのでなく

 えへへ。まだ産まれてませんよ。
 産前仕上げ&産休貯金の仕事はしつつも、実家で比較的ぼんやりできてるからか、今にも出そうだったポンコさん、なんだか落ち着いちゃいました。それでもあと1週間が勝負でしょう。
 ということで、今回の妊婦生活を振り返ってみれば、ほんともう、嗜好の変化がいちばんの驚きでした。これについては前も書いたと思うんですけど、結局、その傾向は今の今まで続いています。
 本日のランチは、いつものトンカツ屋さんでエビフライとヒレカツのセットを堪能しました。「揚げづわり」とでも名付けたいくらいの「揚げもの欲」にまみれた今回の妊婦生活。いつも大好きなはずの魚は、特に焼き魚煮魚は最後まで食べる気にならず、刺身を少々つまんだくらい。好物の第一でもある「茹でたエビ」もダメ。でもフライはウエルカム!というわけのわからなさ。今日は焼肉、明日はフライ盛り…そんな食生活に、我が家の男たちはニコニコでした。他に、無性に食べたくなったのは、ダシのきいたうどん、焼きそば、お好み焼き、チェーン店のカレー、あんこもの、イモ類、など。なんかやたらもっさりしてますね。シャキシャキの野菜や、あっさりした和食、体に良さそうなものには全然心ひかれませんでした。ナチュラル&オーガニックな素敵妊婦とは無縁の暮らし。異様にシャンパンとオレンジジュースが飲みたくなり、シャンパンは毎日…とは行かないのでスパークリングワインを時々と、ことオレンジジュースに関しては、柑橘類を絞るだけの「シトラスジューサー」を購入する始末でした。
 食べ物以外では、「知らない人の匂い」がとにかくつらかったです。普段からあまり得意ではないのですが、いわゆる加齢臭を始めとして、オバさんの化粧くささも、若い人の「若い」匂いも…。
 あと一週間、それやこれやともお別れなんでしょうか。それともこのまま男子高校生的嗜好にシフト?

 さて、今日も、グッと来た本より。

 「つくる」と言うと、世間では創造的なニュアンスを伴ういい響きを持っている。服やパソコン、車や家、欲しいモノが溢れている世の中で、「つくる」という感覚や発想は蔓延している。そのせいか、もやは子どもまでがつくる対象になってしまったようだ。
 しかし子どもはつくる対象ではない。子どもは生まれてくるものである。子どもをつくると言うと、作品をつくるという感覚になってしまう。
 つくると、親の作品なんだから、親の自由な意思で作品の形を変えたり、気に入らなかったら捨てたり壊したりしてもかまわないということになってくる。子どもにとっては酷い話になる。
 …
 子どもというのは自然の恵みである。自然から恵まれたと思えば、子どもをつくるという発想にはとてもならないだろう。
 このように「子どもをつくる」という発想のおかしさを見ていくと、「つくる」という感覚がけっしてよいものだけでできているのではないことがわかると思う。
 …
 歴史上の権力者たちは過去にさまざまな建造物をつくってきた。…そこには自分の権力の大きさを誇示したり、栄誉を永遠に残したいという意志がひしひしとうかがえる。
 「つくる」という行為は行き着くとこうなるのだ。そんな権力者がつくった大きなものを見ると、私は「ああ、つくりたくないなあ」と、思ってしまう。
 …
「つくろう」とは思わない。あくまで「生む」のである。できれば本能に近いところで自然から何かを取り出すように「生む」ことができれば最高である。

努力しない生き方 (集英社新書)

努力しない生き方 (集英社新書)


出産と出版。私も「生んで」いきたいです。ひとまずは出産がんばります!