臨月

おお、まだ速報入ってませんね。腹まわり1メートルとは……。自動改札とか、無理っぽいですね。あとは、サンタさんの役。煙突通れないから。

しばらく更新をぶっとばして、失礼しました。汗だらだらで(あったかくなったね!)翻訳をしていました。もういま出口が見えているところ。イメージとしては、ポンコちゃんと同じくらいでしょうか。こちらはもう、「早く出ておいで」なのですが。

なおスペイン語で、「子どもを生む」というときに一般的に使われる表現「dar a luz」は、直訳すると「光のもとに与える」、日本語で「日の目を見させる」というかんじかしら。これが使われる辞書的なシチュエーションはふたつ。出産と、出版なのです。私の翻訳、あと2日ほどで終わる予定。気分はもう、臨月!


連休はツレの実家の和歌山に帰ってました。じいじとばあば(というのが、ツレの方の呼び名。現在の日本でスタンダード?)、おいちゃんおばちゃん、そして3人の従姉妹の「ねえね」たち。ツレの友人宅には、ニーニャと4日違いの3歳の男の子に、生後半年の双子の赤ちゃん! きゃーっと近寄って抱っこさせてもらって、ツレとふたり、ミルクまであげさせてもらった。考えたら、赤ちゃんに哺乳瓶でミルクをあげたのははじめて。こ、こいつは楽しい! 私は「母乳をあげたとき」を思い出しての楽しさだったのだけど、初体験のツレは、そりゃもうしゃにむに楽しかったみたい。そうか、こうでもしないと、男のひとは擬似授乳体験すらしないんだねえ。

など、ほけーっと、こうしていたら百年でもあっという間に過ぎそうな紀州の緑の中で過ごしてきたのでした。

それにしても、従姉妹宅にも、友人宅にも、SMじろうの姿がちらちらと。うーむ、おそるべし。

ひたひたと

 ふふ。まだ産まれてませんよ。
 だいたい予定日は17日なんですけど、これはまぁ、無理でしょう。だいたい毎晩、キューンと痛くなって、「あぁ、あの仕事を片付ける前においでなさるのか…しかしこればっかりは仕方ない…ひょっとしたら、産んでから入稿間に合うかもしれないし、とにかくこのまま強くなったら病院に電話して…」と考えながらウトウトして、朝になったら、そうじゃなかった、というスリリングな日々です。腹回りはもうじき1メートル。いろんなところにつっかえます。笑えます。おすもうさんは大変です。

 先週の日曜日から、実家に越してます。炊事洗濯、そしてなによりヒコの相手がどーんと軽減されたので、ぼわーっと、これまでの疲れの重いフタが取れたのもあり、異様に眠ったり、ぼんやりしたりしています。その一方では、家づくりも、もうすぐ着工というところまでこぎつけました。

 ヒコの時は永遠かと思われた妊婦生活でしたが、今回はあまりにいろんなことがあり過ぎて、ポンコさんには申し訳ないくらいあっという間&考えるヒマなし、でした。なので、産まれたらしばらくは、なるべくおなじリズムでゴロゴロしようかと…思いつつ、病院で家の打ち合わせしてたりして!ごめん!ポンコさん!

 でも、自分自身があんまり「女子カロリー」の高い人生を送って来なかったのもあり、女子を産むことに関してあまりピンと来ない&ちょっぴり不安だったのですが、数日前にこの本を読んで、女子もいいじゃん!ポンコちゃん、すてきな女子になりやがれ〜!と、ワクワクしてきました。

女子の魂! ジョシタマ

女子の魂! ジョシタマ

 さて、次回は普通の更新なのか、はたまた速報か? みなさまよい連休をお過ごしください!

左右対称の悦び

トンビさん、お加減いかがですか?
昨日は保育園の家庭訪問で、ぼっちゃんとウニャ子のクラスの先生たち総勢4人が家に来るというので、朝からぼっちゃんも浮かれ気味。
家ではかなり自己主張が激しいウニャ子も、保育園では「物静かで、おとなしい子・・・」らしい。女子って・・・。

ところで、もしかしたらもしかすると思っていたが、やはりぼっちゃんは几帳面なところがあるらしい。

彼はブロックでロケットというか、空想科学的飛行物体を最近よく作っている。

2機が並んだところ。

しかも、これがまたかなりの左右対称っぷりなのだ。右と左で色が違ったり、形が違うということはまずないというか、本人的にもこうでなくてはキモチワルイらしい。それにしてもこの造形・・・。

そして最後は合体するというオチが。

父親の書くものよりも立派なオチっぷりに脱帽。

身体が楽しい

 おや?もう金曜日ですとな?よっこらしょ、っと。
 ポンコさんも、そして腹回りも、すこぶる順調に育っております。特に腹回りは、ヒコが生まれる前よりもすでに5センチほど大きく、どすこい!な感じで歩いてます。そんな中、いよいよ明日は地鎮祭、明後日は引っ越しと、家関係も前半戦佳境に!今日は検診でしたが、ポンコさんの心拍グラフを取りながら、初めて話す助産士さんから「お仕事はまだされてるんですか?」と聞かれたので「ええ。ついでに家を建てるのと、引っ越しも」と言ったら、ちょっぴり目が点になっておられました。えへへ。ですよね〜。
 でも、グラフを取るあいだ…20分くらい、本当に久々に、そんなまとまった時間ボンヤリしたんですけど、その部屋は、4年半前にヒコを産んだ部屋でした。でも、覚えてるようで、覚えてないようで、ふしーぎな気持ちになりました。そんでもって、いろんなことがいっぺんに来ちゃってること、むしろありがたく思えたんです。そうでもないと、やんないよなー、って。そんなもんなんだよなー、って。きっと、家ができる3ヶ月後には、じつに新しい世界が開けていて、そこからまた、今の時点では想像もつかないことがあれこれ起こって、それにあたふたしたり、でも、自分たちが思うように作った部屋の中で、いまとはまったく違う景色を眺めながら、楽しい時間を過ごしているんだろうな、と。
 ずいぶん若いころ、考え事ばっかりしていて、意識だけで生きていけたらどんなに楽しいだろうか、とさえ思っていたものでしたが、いまは全然違います。産むのは痛いし、育てるのはしんどいし、なにが起こるかわからないのは不安に決まってるし、借金は重いけど、こうして身体があって、痛いときは痛いけど、ビールのうまさもまた表裏一体。意識のノドは鳴りません。
 …と、なんだかハイになってきたのは、ち、近いのか…?

わからないから、わからないけど、一である。

数日前にカナさんのツイッターにあった、幼児教育のお誘い文句に、けっこう長いこと衝撃を受けっぱなしでした。

「入園後のつまづきを事前に解消するなら、いまが最後のチャンス!」
「問題が起こってからでは、手遅れ!」


なんか、いろんな意味でへこみます。
でも、へこむのも悔しいので、久々に読みはまっている本から迎撃してみます。

小林「私はこの頃、仕事をしていて、これはどうなるかな、やっているうちにとんでもない失敗をするかもしれないなと、いつでも思うのですが、岡さんはどうですか。」
岡「ええ。どうなるか全くわからない。」
小林「わからんでしょうな。わかれば書きませんね。」
岡「そうでなければ、読む人は企(たくら)みに踊らされているような気がするでしょう。」
小林「方向だけは決まりますが、やれるかどうかはわかりませんね。」
岡「きっと本当のやり方はそうなると思います。」
小林「未来はわからないと思いますね。」

人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)

「わかれば書きませんね。」は「わかれば生きませんね。」に代えてもいいのではないだろうか。

この本、薄いんだけど、も〜、濃いです。「有り体にいえば雑談である。」っていう謳い文句どおり、いろんな分野の話があっちこっち出てきて、しかし、このお二人ですから、凡人にはわからないことだってたくさんあるんですが、なんかいちいちおもしろいです。最初のページからいきなり

小林「今日は大文字の山焼きがある日だそうですね。ここの家からも見えると言っていました。」
岡「私はああいう人為的なものには、あまり興味がありません。小林さん、山はやっぱり焼かないほうがいいですよ。」
小林「ごもっともです。」

いいなぁー。雑談。山はやっぱり焼かないほうがいいですよ、って。

そして、数学者として「一」を語る岡さんの言葉に、こんなものが。

自然数の一を知るのは大体生後十八ヶ月と言ってよいと思います。それまで無意味に笑っていたのが、それを境にしてにこにこ笑うようになる。つまり肉体の振動ではなくなるのですね。そういう時期がある。そこで一という数学的な観念と思われているものを体得する。生後十八ヶ月前後に全身的な運動をいろいろとやりまして、一時は一つのことしかやらんという規則を厳重に守る。その時期に一というのがわかると見ています。

という文の〆は、しかし…

一という意味は所詮わからないのですが。


でもまたそのあとで、

数学は一というものを取り扱いません。しかし数学者が数学をやっているときに、そのころできた一というものを生理的に使っているんじゃあるまいかと想像します。…
そのときの一というものの内容は、生後十八ヶ月の体得が占めているのじゃないか。一がよくわかるようにするには、だから全身運動ということをはぶけないと思います。…

私がいま立ち上がりますね。そうすると全身四百幾らの筋肉がとっさに統一的に働くのです。そういうのが一というものです。


なんかだんだん、野口晴哉さんの本を読んでるのか、甲野先生の講座に出てるのか、よくわかんない気持ちにもなったりする読書タイム。

そんでもって、またまたですが、「一」を、おなじ音を持つ「人」に入れ替えても、グッと来ます。「数学」んとこは「医学」とか「教育」か?

ポンコちゃんの「一の体得」を見られたらいいなぁ。

頑是ない歌

おおっと今日はがっつり書く時間がなさそうなので、この数日、何度も読んでいる詩を。

 思へば遠く来たもんだ 
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気は今いづこ
 
 雲の間に月はゐて
 それな汽笛を耳にすると
 竦然として身をすくめ
 月はその時空にゐた
 
 それから何年経つたことか
 汽笛の湯気を茫然と
 眼で追ひかなしくなつてゐた
 あの頃の俺はいまいづこ
 
 今では女房子供持ち 
 思へば遠く来たもんだ
 此の先まだまだ何時までか
 生きてゆくのであらうけど
 
 生きてゆくのであらうけど
 遠く経て来た日や夜の 
 あんまりこんなにこひしゆては
 なんだか自信が持てないよ
 
 さりとて生きてゆく限り
 結局我ン張る僕の性質 
 と思へばなんだか我ながら
 いたはしいよなものですよ
 
 考へてみればそれはまあ
 結局我ン張るのだとして
 昔恋しい時もあり そして
 どうにかやつてはゆくのでせう
 
 考へてみれば簡単だ
 畢竟意志の問題だ
 なんとかやるより仕方もない
 やりさへすればよいのだと
 
 思ふけれどもそれもそれ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気や今いづこ

「頑是ない歌」
http://www.chuyakan.jp/14search/poem/75.html


確実に

椅子に座っていられる時間が、確実に、みるみる短くなってきました。
ヒコの時は、生まれる2〜3日前まで、普通に仕事できてたんですが…。まだ生まれるってわけじゃないんですけど、まだあまりにも仕事が残っております&座っていられませんので、今回は一回休みですみませーん!


このところ「なっちゃん」ファンになってきた…↓

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