おわりがくることを知る

昨日は、自主保育の卒園式。もう入園してから1年もたつのかぁ・・・と非常に感慨深く思っています。今から約2年前、子育てに疲労困憊してしんどかった時、「ずっと一緒にいる自信がない。こんなことだったら少し離れて働いたほうがよいのではないか。」と思い悩んでいましたが、1年前にどういうわけか幼稚園の2歳児クラスへ通うという選択をやめ、週に2回の母子通園である自主保育に通うことに決めました。自主保育に見学へ行ったとき、「ここならば」と一目惚れしたことは事実ですが、それでも「ずっと子どもと一緒にいる選択で大丈夫だろうか」という不安は断ち切れなかったことを覚えています。しかし、愛情豊かな先生がた、自分のこどももよその子どもも分け隔てなくあたたかく見守ってくれるお母さんたち、給食のご奉仕をして下さるボランティアの方々との出会いを通じて、だんだんと「これでよかったんだ」と思えるようになり・・・卒園を迎えた今となっては、「子どもと一緒にいられる時間が宝物」と思えるようになったという最高の贈物を自主保育でもらえたのだと、心から思っています。こういう経験をしてみると、自分ひとりで思い悩んでいても仕方ないなと思います。・・・というよりは、おそらく1年前にあれやこれやと考えていた時には「このようなことが起こりえる」という結論なんて絶対に見いだせなかったですし、自分の頭の中で考えることには限界があって、現実には「思いがけないこと」がたくさん用意されている。こう見えて割と慎重な私は(意外にも予期不安の強い私は)、自分の「いまの」能力だけを評価して「できる、できない」と考えてしまう傾向があるのですが、状況によって自分の能力なんて押し広げていけますし(成長ってやつですね)、あかんたれの私を助けてくれる力が働く(人的支援、物質的支援含めて)こともあります。ですから不安に足をすくませているのではなく、「自分を、世界を信じて飛び込む」って大切だな。そう思います。まぁね、その「飛び込む」という決断だって、自分がしているのか何なのか、分からないようになってきますけれども。あとから振り返ると、「そうなるようになっていた」としか思えないのですから。

さて卒園式では・・・卒園証書を受け取る前に、すでに「せんせいとおともだち♪」を歌っている我が子の姿を見て号泣・・・「これがさいご」と思ったらあかんですね。終始ボロボロで、もうお恥ずかしい限りでした。成長していく、というのがこうも哀しみを伴うものなのだ、ということを今まで全然知らなかったよ・・・子育てって、「おわりがくる」ことを知ることなんだな。それが人間的な成熟に欠かせないのだろうことは分かっていても、涙がポロンと落ちてしまうものですね。