春の夜の怪談。

編集者さんからのメールより。

江戸後期にこの手の育児手当をだした藩があったようですが、この手当て目当てに子どもを買う人がでてきたと。
昭和のはじめにも沢山沢山ありましたね。

そそそ、そうなの?
まーでも「子どもが宝」なんて言い出したのはごくこの数十年くらいのもので、それまでは、とくに庶民は、「できるだけ妊娠して、たまに流産しながら、わりと子どもが早く死にながら、大きく育てばめっけもん」みたいな、いわば動物的感覚だったんですよね。
数が少なくなるとありがたくなるのは、宮崎のマンゴーもおなじかも(古い話なのかな)。
そして当時は女性が一生で経験する月経は少なかったんだなあ、と、「生理用品のない時代」に思いを馳せながら考えてみたのでした。


というあたりで今回は終えておこうと思ったところで。ニーニャ(3歳3ヶ月)宛ての郵便物が到着。差出人は、某大手教育サービス企業。

「入園してからでも大丈夫」とお思いのかたへ
"先輩ママも準・備・不・足で困った!"
入園のつまづきを解消できるチャンスは今!


「入園後にやろうと思っていた生活習慣も、新生活の疲れで全然進まずイライラ……」という先輩ママさんの話をマクラに、SMじろう(これじゃ団鬼六みたいだな)と一緒に(つまりはDVDで)「朝のしたく」や「トイレ」を歌で学ぶなどの、親切極まりない教材の案内が、「締切!」と大書された「入園までのカレンダー」とともに。

……健康食品のチラシみたい。
※これはあくまで個人的な感想です。と注意書きをしておくのがポリティカルにコレクトな世の中のようですが、いやまあ、すごいのね日本。※日本人批判ではありません。と、これも注意書きをしておかなければならないかな。

語学でもなんでも、生死に直結すること以外は、必要になったとき、本人が切実に欲したとき、やればいい、というか、やる以外にはなかなか身につかないものだ。わが身を振り返るぶんには。個人的には、いまから「幼稚園の練習」をさせられたら、4月に幼稚園に行くころには、もう飽きてるんじゃないかとも危惧したりもして。遅くても大学受験後には燃え尽きる「早期教育」な子どもが多いのと同じで。転ばぬ先の杖は、ふつうに歩く分には、かなり邪魔なもの。っていうか、かえってそれで怪我をしちまうぜ。


どうも日本は(※日本人批判かもしれません)、「『リアル』に直面することを、できるだけ避ける」という傾向が強いのではないかしら。旅行前には旅先のガイドブックを読み尽くして、現地では「チェックしておくべきポイント」をまわり、まるで「記念スタンプ」あるいは「証拠」として写真を押さえていく。外国かぶれで申し訳ないけど、やはり海外に10年以上住んでいた友人が奈良の大仏に行って驚いたのは、「みんな大仏殿に入るや、目で見るよりも先に、いきなり携帯で写真撮ってた」ということだった。もちろん海外でも携帯で写真を撮るけど、日本の「いきなり写真」というのは、たしかに私も異様だった。

もしかしたら、旅行から戻ってきてから「やり残したことがあった」のは、痛恨なのだろうか。「えっ、あれ食べてこなかったの?」というのに、グラッと揺さぶられるのだろうか。そこで「だって、あれって実は観光客向けで、地元のひとはいかないらしいよ」と咄嗟に返せる強さ(なんのだ)が必要なのだろうか。
あるいは、リアルに迫られるのはイヤなのだろうか。テレビが死体を映さないとか、肉屋に皮を剥がれた動物がないとか、そういうのもひっくるめて。


他人のことはわからないけど、私は(主に「したい/したくない」ではなく、「できる/できない」という点から。これもエクスキューズだな。って、誰にだ! ←この頃ちょっと弱気)、自分や子どもがリアルに直面して、失敗して、恥をかいて、それでもやらなならんことはハラを括って自分でやる、そういうこと(だけ)を大事にしたいと思っているので、あなおそろしや、と合掌してチラシをゴミ箱に入れたのでした。

すると「ダメー!」とゴミ箱に手を突っ込んだ娘は、オマケの「ひらがなマシーンを売り込むためのコピー」や「絵本やDVDを売り込むためのシール」でそれは嬉しそうに遊び、さらにはまんまと罠にはまって、「これ、ほしいなー」と「ひらがなマシーン」を指差してましたが。ま、そんなもんなんだろう。しち面倒くさい親があっても子は育つ。お前も頑張れよ。ただし、この数日は、ここから「ニーニャねえ、むかしねえ、これもってたんだよー。あの、あそこ(六甲山を指差し)、お山のうえで。おすしもたべたの。APMと。カレーパンマンもいた」と、他愛無く脈略ない作り話が続くのが、とてもラブリーに3歳児なかんじです。