看護と育児の身体性

先日内田先生のブログにおいて「看護と身体性」がテーマになっており、看護学部の志願者数が増加していることの一因に「自分の身体の蔵している未知のポテンシャルに興味を持ち始めた若い人たちもいるだろう」という趣旨のことが書かれていましたが・・・昨今の「妊娠、出産、育児ブーム」?の裏にもきっと同じようなものがあるのではないかなぁというふうに私は思いました。その中に「育児」を含めるのはどうなのか?と疑問を持たれる方もおられるかもしれませんが、確かに自分の身体がダイナミックに変化する「妊娠、出産」と比較すると「育児」のほうは地味な感じがしますね。しかしながら内田先生のおっしゃる「弱さを感知する能力」という意味での「身体性」は、妊娠・出産よりも育児を通して養われるものですし、おそらく三砂ちづるさんが提唱する「おむつなし育児」が最も要求するのはこの能力なのではないかと思います。

そしてこの能力に先行するのが、「関心、気づかい」というものなのではないかなぁと私は思うのです。看護においてその重要性を指摘しているのは、「現象学的人間論と看護」を著わしたパトリシア・ベナーという看護理論家ですが、初めて彼女の理論にふれた時にはひっくり返りそうになるくらいびっくりしました。看護(たぶん、それだけではなくケアというもの全て)に必要なものは、気づかいである・・・なんて「そんなの、当たり前じゃねーか」と一蹴されてしまいそうですが、それを職業として(あるいは立場上)常に有効に機能させておくことの難しさは誰でも直面することだと思うんですよね。そう、最も大切であるはずの「気づかい」は、ちょっとのことで吹き飛んでいってしまうもんだ・・・たいていは自分の都合や感情が、大切なそれを吹き飛ばしているものなのですが、そのことにも気づかずに大切なことを見落としている。そうしてあとからがっくりへこむ、その繰り返しです。

まぁそういう自虐的な反省は置いておくにしても、育児というか子どもとの暮らしにおいても「気づかい」というものはとっても大切なものですね。とはいえ大半の時間は「そんなもの、吹っ飛んでしまっている」ので、どうしたらそれを維持?できるのかと考えています。そんなところに、ほぼ日で吉本隆明さんの対談記事を読んでいたら・・・グサっ、グサっ。「気づかい」の維持とかいうレベルでなく、なんというか、もっと根本的なところで「それを言われたら、身もふたもない」・・・とガックリきてしまいました。このテーマに興味のある方は実際に記事を読んで頂けたらと思いますが、まぁでもこの重い事実を受け止めたうえで「でも仕方が無いんだ」と正当化する方向ではなく、「では何が出来るのか。何から出来るのか。」ということを考えていきたい、というふうに思いました。まぁ具体的には現代的な「軒遊び」をどう作っていけるかということや、次世代をどうしていくかということになるかと思いますが・・・そう、これは「いい」「悪い」ではなくて(つまり、私は『自分のことを言われている』と個人的に受け止めてショックを受けてもいますが、決して個人批判ではないことは明らか)、かなり冷静な状況の描写にすぎません。ただその状況は「子どもの幸福」という視点から見ると肯定されえないことでもありますから、「現状はこうだ。この現状の中で、子どもの幸福のために出来ることは何か」と考えていかないと始まらないんですよね。いやしかし、こんなこと声を大にして言えるのって吉本隆明だからだよね。そしておじいさんだからだよね。(←失礼か?)読みながら「うっ。つらい。身につまされる・・・」とつぶやき、時々のけぞったりしている私を傍目に見て笑っていたオット。男子はいいよなぁ。いやいやたぶん、そういう奥さんを持つ旦那さんも大変なんでしょうけれども。

でもそんなふうにしょぼーんとしている中でもちょっぴり励まされたこともありまして、内田先生の記事が「それにしても、ナースというのは、いっしょにいて本当に気持ちの落ち着く方々である。目と目があったときに、彼女たちから最初に伝わるメッセージはDon't worryである。それは無言のまま皮膚を通して、深く身体の奥にしみこんでくる。」としめられていたこと。もちろん自分のことを言われているわけではないのに自分のことを言われているような気がするという、とんでもなく厚かましい大勘違いなのですが(まぁだからこそ幸せと言える)、なんというかこういう幸福な関係が築きえるんだな、そしてそれを言語化して返してもらえるというのはすごいことだな、と思ったんですよね。ナースの発するメッセージに敵意を見いだすことだって当然のことながら可能ですし、そういうことは少なからずあるのですが、受け取る側の愛情というか感受性いかんによって幸福な関係が築けるんだなぁ・・・と。それを伝えてもらえるというのは、本当にありがたいことですね。これ以上に「看護という仕事」への敬意と言いますか、褒め言葉はほかに見当たらない・・・たぶん、友人のナースたちもそのように思うのではないかと思います。仕事で思い悩むことがあったりなんかすると、余計に、しみますね、この言葉。というのは余談で、ナースの友人たちのために追記した次第です。

内田樹の研究室 「看護する力と横浜での驚愕の出会いについて」
ほぼ日「日本のこども  責任をとれるのは、誰?」