昨日は仕事のあとに飲みに行って、帰宅後すぐさま寝てしまい・・・更新できませんでした。すみません〜。そしてストック記事(←いつも大体『ずいぶん前に書いた記事』なんです・・・)もないため、今回はコメントだけということで失礼します。

トンビさん
そうですねぇ、「クウネル系?」の女性たち(男子もいるのか?)は、昔は「オリーブ少女」というカテゴリーにおられたのでしょうか。まぁでも私はいずれにしても、彼ら彼女らのあり方というのは、実害が少ないと思うんですよね。確かに「これをしている私は素敵(正しい、立派)」というところに満足が集約されていくのはちょっとどうなのか、と問おうと思えば問えるのですが、それでも(動機づけは不純だとしても)結果的に例えば「環境によい」とされることをしているわけで・・・(お掃除だって、すれば家族のみんなは気持ちよく暮らせる)内田センセイも仰っておられましたが、「たとえそれが偽善でも、何もしないよりはまし」と私も思います。ばななさんが仰っておられる「自分自身を大事にしている」こととお掃除やおしゃれがどう結びついていっているのか私にはぴんとこなかったのですが、お掃除にしても環境に配慮することもおしゃれをすることも、結局は「それが社会にどう結びつくか(どう影響していくのか)」ということを考えることのできる成熟した知性というのが最も大切なのではないか、と私は思っています。自分自身のあり方、行動決定が、社会にどう影響していくのかという、「社会を見据える」姿勢といったらいいのでしょうか。しかしながらそれを全ての人ができるかといったらそうではなく、トンビさんを含め、自分のしていることがどう社会につながっていくか、ということをきっちり考え「その先の社会を見据えて」行動決定できるような、オピニオンリーダー的な存在というのは社会の中のごくわずかであってもよいのではないか、それに従ってよきことができる人たちが社会に一定数いてもいいのではないか、というふうに私は思っていますが・・・

ホッチキスさん
お仕事お忙しそうですね。おつかれさまです。
「こういう意見は『7サプ的には』アウトか」ということをよく仰っておられますが、そういうことは全く気になさらないでよいのではないかと私は思います〜。たぶん、ここを訪ねてくださる方は色々な状況、色々な段階におられるでしょうし、ここにもまた様々な状況、様々な段階にいる書き手がいて、それぞれに異なった意見や感想があれば、「たまたま同じような状況、段階の人にはげまされる」ということが起こってくると思うのです。それって素敵なことだな、と思います。そして書き手だって成長しますから、今書いているような意見は過渡的なもの・・・だから私は好き勝手に、というか、その時に思っていることを正直に書くことができています。そして1年前に言っていることと、まるで違うことを言っている自分に気づいたりして興味深いです。
「怒ったときには怒る」、新鮮なご意見でした。私はそれができにくく、いやそれ自体ではなく、「それの後処理」に困難をきたすので「できにくく」、じゃあどうしたらいいかということを考えているというだけの話なのですが・・・そして「親失格だ」と子どもが言う権利は認めますが、私はやはりそれを恐れますし、「慕われたい」とどうしても思ってしまいます。そう思ったところで結果は「親失格だ」という宣告につながる可能性もあるのですが、そのために出来る限り考えつく限りあらゆることをしたいなぁと今は思っています。そこを基点にすると、感情表出に慎重になる自分がいます。