いつも、ありがとう。

寒くなってきましたね。

先日、お歳暮がてら吉祥寺名物の「篭蔵」のジャンボ餃子(美味しいんだなこれが)を岐阜の姉ミンミンに送ったところ、お礼の電話があり、話しているとミンミン家のKちゃん(満1歳)数日来高熱が続き、しかも原因がわからないという。深刻な状況ではないようですが、やはり心配で眠れない夜が続き、姉ミンミンも看病疲れで体調を崩し寝込んだりもしたようで、声に元気がありません。先月から保育園にも通い始め、ミンミンも陶芸の仕事を本格始動させようとした矢先だっただけに、気持ちの面でも落ち込んでいるのでしょう。保育園にもほとんど通えず、病院がよいの日々。
実家から遠く離れた岐阜で孤軍奮闘している姉を思って切なくなりました。もう少し近くにいたら、いろいろと手助けできるのに。もっと話を聞いてあげられるのに。小さい頃、さんざん私をいじめた姉だけど「ギュッ」と抱きしめてあげたい気持ちになりました。

姉とは対照的に私は、ついに一度も実家を出ることなく結婚→出産→育児と全てを親の元で過ごしながら今に至っているのですが、本当に恵まれた環境だったと思います。結婚するときに「お前は話し相手がいないと寂しくて死んじゃうだろうから」と同居を快諾してくれた夫カントク、文化の違う婿さんと甘ったれな娘を快く迎え入れてくれ、私達夫婦のことを尊重してくれる両親、いつも孫や曾孫の事を一番に気にかけてくれる祖母、楽しく一緒に子育てをしてくれる兄弟達、家族みんなには感謝してもしきれないくらい、本当にお世話になっているので、もし人間には平等に困難が用意されているとしたならば、きっと私は人生の後半戦で苦戦を強いられることになるのだろうとと思うぐらい、今の暮らしが幸せなのだと思います。
細かいことが気にならず、人と暮らす事を苦痛と感じない私の性格もあるのだとは思うのですが、フルタイムで仕事をしながら子育をしてきたこの7年間を振り返ると、家族の援助なくては成り立たない事ばかりで、本当にみんなに支えられて来たのだなあと、急激に実感しました。
だからこそ、孤軍奮闘のミンミンの苦労を思うと自分ばかりが楽をしているようで…申し訳ないような、切ない気落ちになってしまいます。

この苦労知らずな状況が私にとって、はたして本当によいのか、私は人間としては全く成長できていないのではないかと思ったりもするのですが、間違いなくコジポンにとっては不甲斐ない母だけではなく祖父母、曾祖母との暮らしが彼の成長に良い影響を与えていると断言できるような気がします。

それに、都合が良いと怒られそうですが、年寄り達にとっても子供との生活は潤いや実りのある暮らしなのだとも思うのです。
ひいばあ(86歳)がいつもまでも元気なのも、毎晩、曾孫達の後に入る「ホルモン湯」が秘訣なのではないかと思ったり思わなかったり(冗談です)。
孫、曾孫と毎日触れ合い、成長を見守る事ができる。そして見守るだけでなく子育てに関わって、なにがしか(どころか、かなりのウェイトで子育てしてもらっていますが…)の役割を果たす事は、すごく刺激的で張り合いがあって細胞が活性化して若返っていくのではないかと思っているのですが…都合よすぎる解釈でしょうか?


これからも、感謝の気持ちを忘れずに、そして自分の受けた恩恵を、キチンと誰かに還元していけるようになりたいと思っています。