この世の花

「保育園(再)通い始め」の身として、アイリちゃんのお姉さんのミンミンさんに伝えたい一言。「通い始めは、わりと三寒四温、じゃなかった、3日行って4日休みとか、そういうレベルですよー。3ヶ月経てば、ちょと落ち着きます。1年経てば、すんごく落ち着きます。しばらく、お子さんと一緒の病原菌をもらって、てーへんだと思いますが、なんとか生き延びてみてくださいね!」


さて先日の日曜日は、初々さんご一家と、海を見晴らす丘の上でRunデブー。ぜえぜえ、最近太ったけんね。違った、ランデヴー。オットさんの勤務先の大学で行われた子ども向けイベントに、お誘いいただいたのでした。到着するや、明るく開放的な敷地内の各所から「キャー!」という黄色い声が上がり、わらわら駆け寄ってくる女子大生。そんな光景、人生で一度も体験したことのないツレが呆然としていると、この世の花といった風情の、しかも手に手にポンポンをもった彼女たちが満面の笑みを浮かべてこちらに一斉に手を振り、「○○ちゃーん!」と、こ初々さんの名前を呼ぶのでした。こ初々さんが手を振り返すと、「ギャー!!」と悲鳴にも似た喜びの声が。すごい。その後も、5歩歩くたびに「えっ、○○ちゃん? きゃー本物だっ! かっわいーい!!」の声が、そりゃもうさざなみのように広がり。おお、噂にまさる人気ぶり。おまけでお姉さんたちに可愛がってもらったニーニャも、たいそうご満悦。調子に乗って可憐なお姉さんにチューとかしてたし。

そして、「生まれたときは同じ顔、いまではサイズが1.5倍」のこ初々ちゃんとニーニャは、ステージ袖で黒子をつとめるオットさんのみつけあいっこしたり、芝生を駆け下りたり、ステージにあわせてダンスしたり、ステージそっちのけでバリバリおやつ食べたり、初々さんが読んでくれる絵本を一緒に覗き込んだり、まだまだ「一緒に遊ぶ」というほどではないけれど、お互いがいる空間を楽しんでいた様子。別れ際には、今後月1回の「7サプ関西オフ」開催を(勝手に)誓う。あー、日本に帰ってきて良かったあ。と思った、素敵な1日でした。なんせ関西にまだ、友だちおらんもん。


今朝、在東京の親友から、その親友の奥様が亡くなられたというメールがあった。かねて「7サプ」に入りませんか、と声を掛けさせていただいていた、間接的にしか知らないけど、それはもうほんとうに善い方で、病に臥せっておられる奥様にかわって、出産後からお子さん(と奥様)のお世話を、ずっとひとりでされていた。私の軽薄な誘いが負担になっていなければいいが、と、今更ながら痛切に反省している。

いろんなひとがいる。いろんな家庭がある。いろんな親がいる。傍から見れば、あるいは自虐的に自分を見れば、「こんな至らん親で」と、なんぼでも言えよう。でも私は、「子どもは親を選んでやってくる」と信じている。「こんな至らん親」だからこそ、この子は、うちに来てくれた。「『こんな至らん親で』と自分を責めるどこまでも未熟な私」が、子どもには、誰より素敵な親なのだ、と。どんな思想でもいい。もしそれがあまり素敵でなければ子どもはいつかその経験をつうじて、もっと別の好きな考え方を身につけてくれるだろう。「反面」でも「教師」になりうる。たといぜんぶ「反面」でも、親は親。子どもにとったら100%。この世にそんな存在がいてくれる幸せに加えて、さらに、一緒にちゃぶ台囲んで、あるいはボールでも投げ合って、アハハハと笑えた一瞬が、きっとある。これ以上、いったいなにを望もう?

面識のないその奥様の病に、ご家族は全身全霊で、取り組んでこられていた。そんな、ほんの1行で済むような知識しかない私にも、悲しすぎる、今回の結末だった。どうか、どうか、神様、Iさんと3歳になる子どもさんに。光を。いまあちこちにいるだろう、自分のせいでと悔しく思いながら凶悪な病とつきあわねばならずに本当に辛い思いをされている方に。病のせいで、きっと声や言葉は、いますぐには届かない。でもなにか。なにかなかっただろうか? 同じ年齢の子どもを持つ私ができたこと、親友の親友としてできたこと、たまたま同じ時代に生きてる「そうであったかもしれない私」に、なにか。
ご冥福を心よりお祈りします。お疲れさまでした、きっと。