外面よし子は、お前だ〜!!!

夏休みに入りましたね。自主保育も先週火曜日を最後にして、夏期休業へ突入。お休みに入る前には、幼稚園が給食なしの午前中保育→お休みとなり、自主保育に通っている子どもたちのお兄ちゃんお姉ちゃんたちもわんさかやってきてとっても賑やかでした。子どもがもっと小さかった頃には、だいたい同じくらいの月齢・第一子という共通項のあるお母さんがたばかりとおつき合いしておりましたが、最近ではこうして何人も子どものあるお母さんとお知り合いになれて、これまた楽しい。「お母さん、という存在は、いい人ばかりなのではないか」と非合理な?なことをノーエビデンスで思ってしまうくらい、出会う方出会う方素敵ないい人ばかりなのが不思議でならないのですが、とにかく自分とは違う状況におられるお母さんたちとお話できる機会というのも私にとってはとても貴重です。

とはいえこう見えて(どう見えて?)元来人見知りの私は、全く新しい人間関係を作るのには時間がかかるほう。あんまり好き嫌いがなく、割と誰とでも仲良くやっていけるタイプではあるのですが(自己評価)、関西人のように自他の垣根が低いわけでもなく、押しが強いわけでもなく、「おしゃべり」が得意というわけでもなく、ユーモアで和ませられるような話術も持ち合わせてないので、出会ってすぐに会話をはずませて仲良くなるというのは難しい。もちろん「人見知り、なんて言うのは、会費を払わないでメンバーだと言っているようなもの」という糸井重里さんの言葉に耳が痛くなりつつも「そ・・・そうですよね」と頷かざるをえないことは分かっているので、人見知りであることを前面に押し出さないように努めてはいるのですが、それでも性格や気質というのはそうそう変えられるものではありませんね。なので自主保育にも4ヶ月通っていますが、ちょこちょこと断片的にお話することはたくさんあるものの、それ以上でもそれ以下でもない、という状況でした。ところがどういうきっかけだったのかは忘れてしまいましたが、「いやぁ私、ちょうど一年前には育児ノイローゼになって・・・」というお話をしたところ・・・「ええ!?こ初々ちゃんのお母さんが?こ初々ちゃんのお母さんなんて、いつでも穏やかで、子どもが好きでたまらなくて、子育てもすごく楽しくて・・・って見えるもん!」「意外〜」等々ほかのお母さんがたから言われてしまいました。これって・・・人見知りというよりは、「外面よし子は、お前だ〜!!!」ということですよねぇ。子どものことをさんざん「外面がよくて・・・」とぼやいたあとにお恥ずかしい限りですが、えぇ親子で外面よし子なんです。数週遅れて「蛙の子はカエル」と気づいたのでした。やれやれ。

(そしてとどのつまり外面よし子な妻と子どもを抱えて、一番苦労しているのはオットなのですね。「難儀でごめんね。時々かわいそうになる。・・・でも時々でごめんね。」なんて妻から言われて、きっととほほでしょう。改めて、ごめんね。)

ところで話はいったん少し変わりますけれども、私は今秋大学院を受験し、無事に合格できれば来春から学生生活が始まります。そして我が子こ初々さんは(どういうわけか!)保育園ではなく幼稚園の年少さんに入り、未知の「幼稚園送り迎え、毎日お弁当」生活が平行して始まってしまうのです。ですから「幼稚園のスタートと院生生活の両立なんて無理ではなかろうか」と不安に思い、大学院の担当教授や幼稚園の先生がたにも相談したところ・・・大学院のほうでは「学びたい、と思ったときが一番だと思います。2年で卒業と考えず、3年でも4年でもかけていい。ぜひ受験してください」とおっしゃって頂き、幼稚園のほうでは「2月のお誕生前になりますが、来年1月の新学期から満3歳児として通ってくださっていいですよ。」とのこと。あらま。相変わらずサポーティブな環境に身をおかせて頂いている私ですが、その時にまず思ったのは「1月から幼稚園ということは・・・24時間母子密着生活もあと5ヶ月!?そして自主保育に通えるのはあと4ヶ月・・・さ、さみしい・・・」ということでした。そして「まず寂しい」と思った自分が、実のところとてもとても意外だったのです。先ほども言いましたが、振り返ってみればちょうど1年前には育児ノイローゼで崩壊寸前でしたし、子どもと完全に離れられる2歳児クラスを諦めて母子通園の自主保育に通うことに決めたときも「本当にずっと一緒にいる道を選んで大丈夫なのだろうか」と非常に不安でした。そしてそれはたったの4ヶ月前のこと。それなのに、そういった時期をいつの間にか通過していて、「一緒にいられなくなるのが、寂しい」と思っている自分に気づくことになるなんて、1年前にも、たった4ヶ月前にも思いもしなかった。そしてなんだかんだあっても最終的には、「離れるのが寂しい」と思えることができたことを、ありがたい、と心から思うのです。きっとそれを可能ならしめたのは、カナさんもおっしゃっておられましたが、言うまでもなく家族や友人、カフェのおねえさん、近所のおばさまたち、保育の先生、たくさんのお母さんたち・・・そんな「つながり」。人見知りで外面よし子な私が見知らぬ土地へ嫁いできて、子どもを介してこれほど多くの人とのつながりを作り、支え合うことができるとは思ってもいませんでした。思い返すと学生時代の友人には「(学生の頃は)クールビューティーというイメージだったのに、変わったね。」と言われたこともあり、もちろんビューティーというのは誇張なお世辞にすぎませんが、確かに人をよせつけない一匹狼的なところが自分にはあったように思います。ですからきっと、たくさんの出会いによって私自身も変容したのでしょうね。そしてそんなふうに変容できたことを、私はとても幸せに思っています。というよりは、かつての私よりは、はるかに今のほうが幸せですから・・・

とはいえ、子育ては一様に幸せで楽しいことであるわけではなく、「悪いときは、悪い」のも事実。そこをまとめて「悪いときも、振り返ればいいときとなる」とは今の私には言えませんが、子育てというのはそういうグラデーションのある日々なのだということが分かって楽になったような気がします。それを「頭でわかっている」だけではなく、「実感として分かる」ことの強さを、改めて今感じているところです。