ベニーばあちゃんがいる日々

友人とランチするなんて、月に1度くらい。昨日がその「1度」で、マドリードの新宿兼渋谷あたりのソル広場近辺で友人と落ち合ったほんと数十秒後、携帯電話が鳴った。発信元:SOL Y LUNA。あ。「ロレナだけど、ニーニャが頭から落っこちて、いま病院に」 やっぱり! というのも実は朝から妙な胸騒ぎがしていて、何度も戸締りを確認したりしてたのだ。このことだったか。しょうもない麻雀人生でゆいいつ学んだのは、直感を信じないとダメだってことだったはずなのに。唇を噛んで(ウソ)、タクシーに飛び乗った。

…という話を書こうと思っていたのだけど、ホッチキスさんのエントリーを読んで急遽変更。(ちなみに怪我は、どでかい良性のたんこぶのみでした。服に血が盛大に飛び散っていたのは、その直前に鼻くそほじってて出した鼻血だったとか。アホ娘〜)


私もまた、人非人。ひとをひととも思わず、他人より勝ることだけを考え続けた元東大受験生にして元司法試験受験生(どちらも不合格)。33歳で、ドラッグあるいは結核で死ぬ予定だった。アホ丸出し。そんな不出来な私に、神はニーニャを遣わしたのだ。と思ったのは、妊娠7ヶ月で旅行したバジャドリー(かつて城選手がプレーしてましたね)からの帰路。子どもが来てくれたことで、私がこの世に生きることがしばし赦された、って気がするとさ。当時まだ快調だったオペルベクトラの車内でそう、ツレに話した。彼はなんと答えたっけ。

しかし実際に子どもが来てからの日々は、そういう甘いイメージが吹っ飛ぶ、ゲシュタルト崩壊の日々。理想はずるずると後退し、もはや考えるのは「今日いちにちを生き延びる」ことのみ。ただ、なんとかここまで生き延びてみて振り返ると、いつしか「友だち」ができていた。「仲間」かな。人生をわかちあってくれるひと。家族がそうだし、「7人」もそうだし、ディエゴママのエバもそうだし、いっぱいいっぱい。あるいは、このアパートに住んで7年になるけど、去年まで知らなかった裏通りの駄菓子やのベニーばあちゃんとかも。

実はこのところ、ちょっとしんどいことが重なって、ほんと離婚かしばらく別居かしようかとチラチラ本気で考えていた。でも、「健やかなるときも、病めるときも」だっけ? 一緒にいるから家族なんだよな、と、内田樹師匠の言葉と共に思い出して、その度に考え直した(そんでまたすぐ、くじけそうになるんだけどね)。他人の手を借りないと生きられない「弱者」の娘をメンバーとしてもつ家族の、自分が一員であることで、たぶん私はようやく人がましく生きていられて、そしてまるでご褒美みたいに傍に友だちや仲間がいてくれる。ろくに会社勤めもできない(だからフリーランスざんす)、継続した人間関係を築けない、この半端者の私が。


ありがたやありがたや。ということで、今日は友人と飲み直しに行ってきまーす。祝杯だ! 胸騒ぎもないし、きっと娘も保育園で元気でしょう。そういやニーニャ、昨夜は心配して電話してきたディエゴに、「ミラ(見て)、ミラ(見て)、アキ(ここ)」と、おでこに貼った冷却ジェルシートを指差してました。最近は往々にして一丁前の顔してみせるくせに、まだ電話のコンセプトは理解されてないご様子。ププ、子どもだよな〜。