たぶん豚インフルじゃないと思う

喉が痛くて、熱が出ました。でも豚インフルエンザではないと思います(スペインは感染確認国)。急に気温が下がり、保育園では父母を含めてみんなが風邪っ引き。よしんばインフルエンザだったとしても、いづくんぞ豚ちゃんだったとしても、まあ死ぬほどじゃないみたいだしね。こちらではインフルエンザでも、基本的にふつうの風邪と同じ扱いです。熱さましと安静、バナナとコーラ。ところでタミフルの消費量って、日本が世界の7〜8割を占めるってご存知でした?

アイロニーは切実さの中に生まれる。ということを作家・奥泉光は、いとうせいこうとの共著であり私が大好きな『文芸漫談』(集英社)で言ってま、せん。だいたい、用語としてフランス語系の「イロニー」を使ってらっしゃいます。しかも私は「ユーモア」との概念の違いも正確にはわからない。えっとなにをいいたいかと言うと、切実万歳! と。

池波正太郎の小説の主人公は、とくに彼が剣豪であるとき、絶体絶命の窮地でどうするか。笑うんです。ともかくニヤリと笑ってみる、すると筋肉の張りつめた状態からほころんだ隙間というか余裕から、活路がひらけてくる。逆に、天才的な殺人剣をあやつる人間は、最後の大一番に、その余裕というか二枚腰がないために足元を掬われて(まさに小石に蹴躓くとか)、命を落としてしまう。アイヤイヤー。

けっこう子育てとか、あるいは仕事の場面でも、そのことに居着いちゃって頭がいっぱいになって視界が狭くなって胸が苦しくなって、あーもうこりゃ彼奴を殺すか俺が死ぬかしかないぜ、というところに行きそうになる。いつかアイリちゃんが言っていたように、大家族で家庭内にも他人の目があると、それが抑止力として有効に働くのでしょう。あるいは仕事でも、自宅に籠もる形態じゃなくて外の職場に出て行くタイプなら、きっと同じ。なにがあっても朝8時半になれば「行かなきゃいけない」場所があり、そこで「やらなきゃいけない」ことがあるオットを、世の妻たちが羨んだり恨んだりするのも、そこにある気がします。そう、現代の主婦を苛むのは、たぶん孤独。

主婦であり、内職(たとえば子育てで取材に出れないインチキライター。って私だ!)であるひとは、じゃあどうすりゃいいのか。たぶん、笑えばいいのだ。ってバカボン風になったのだ。
シリアスなシチュエーションで笑うためには、その場の全体をひとつ違うフェーズから見渡す「もうひとりの私」を立ち上げなければならない。言語を操る気力が残っているなら、どうもつっこんでみるのがよさそうだ。ひとむかし「欧米か!」が流行ったと風の噂に聞いた私は、しばし頻繁に使わせていただきました。なんせ欧米在住なもんで、ネタは豊富。着替えを拒否して「NO!」と泣き叫ぶ娘と目が三角になっている私に、ストレートに「欧米か」。質は低いけど、自分がちょっと笑えればそれでいいの。そして言語を操る余裕もないようだったら、ともかく口の両端を上げて笑ってみる。さすが人生達人・池波正ちゃん。筋肉が弛むと、たしかにきもちも弛みます。

さらには子ども自身が、本人が切実なあまり、傍から見ると笑わせてくれることが多いしね。先日は例によってパジャマへの着替えを拒否しながら号泣する娘に、動物柄と花柄のふたつのパジャマを見せて「じゃあ、どっち!」と訊くと、動物柄を指して「ウナカメちゃん、NO!!!」と絶叫。ウナカメ? あ、una亀。って、日本語の単語にスペイン語の定冠詞をきっちり女性形(スペイン語で亀はtortuga、女性名詞なのです)でつけてる! アーホーむーすめー。可哀想だけど大笑い。ちなみに最近ではウナリンゴ(manzana=女性名詞)も登場しました。

視線を複数にする、笑いをむりにもつっこむ。それができりゃあ、ともかく生き延びていけそうな気がします。腹話術人形を常備、っていうのも、いいかもしれないなあ。