それだけのこと

さてさて、2週間前にオットのたわごととして、「2週間後に書くかもしれない」と予告していた“ややこしい問題のひと段落付け方”。勿体付けた割には大して面白くもなんともない解決法です。それは、「諦めてひとまず動く」というものでした。これまでのわたしは、約2時間電車に揺られて仕事から帰ってきて(この期に及んでもまだ言い訳したい私)、食事をした後、「今日の私の仕事はおしまいです」とばかりにドッカと居間に座っておりました。はい、申し訳ありません。余力がある日には、台所に「手伝い」に出てたわけです。それを、食事の後、なにがあっても全打席に立つ金本の如く、とにかく台所に立つことにしました。
誤解のないように申し添えますが、これは夫婦で話し合った結果ではありません。前にも書きましたように、我が家は、というより妻の初々さんは「夫婦間のことは夫婦で話し合わない」をmottoにしてますから、もう、こちらが一方的に考えるよりほかないわけです。夫婦喧嘩はおろか、それについて話すということがない。ただ、私が勝手に気分が悪かっただけなんです。
「全体を見て主体的に動く」という家事の基本原則を実行できているかどうか、その判断は妻にしかできないわけですが、私としては“とにかく自主的に動く”ことを心がけた。でもって、私のもやもやした気分の元である、「私が仕事して家計を支えていることはちゃんと評価されているのか」という問題は棚上げした。つまり、「考えないようにした」ということです。で、結果として私の“家事に質”が変化したかといえば、変化したとは思えません。ただ、その量がほんの少し増えただけです。相変わらず私はサブの立場を脱し得ていません、たぶん。

結論は、“そんな感じで動いているうちになんとなくややこしい問題を考えなくなった”ということです。それだけです。ただ、そうこうしているうちに、初々さんがこのブログで書いた「自由の代償(4月6日)」を読んで、ちょっと、いや大分に救われた思いがしたのでした。
これだけです。喧嘩したり、話しあったり、なにか心に響くエポックメイキングなことがあったわけではなく、すこし身体の在りようをかえて、なんとなく過ごしていたら気持ちの在りようが変わった、というそれだけのことだったのでした。

オット初々