家事をめぐる温度差

今回は、ホッチキスさんの前々回の記事に触発されて考えたことを。

男性がどれだけどれだけ家事や育児を手伝っても、妻から評価されない・・・自分自身のことを振り返り、そしてほかのお母さんたちの意見を参考にしながら、そこにどんな問題が隠れているのだろう?としばらくの間考えてみました。しかし考えているだけではいまひとつスッキリとしないので、ある日お皿拭きをしに台所へやって来て、まだ水切りのところにお皿が一枚もないことを確認して居間へ帰っていったオットに尋ねてみました。

「向学のために聞くから気を悪くしないで欲しいんだけど、さっきお皿拭きしにきて何もしないで帰っていったでしょ?その時何を考えていたの?」
「お皿拭きしよう、と思ったんだけど、まだ拭くものがないなと思った。」
「それはつまり、『お皿を拭きにいこう』って決めてから台所へ来たということ?」
「うん、まぁそうだね。」
「ふーん、じゃあ自分の役割を決めてから来たということね。」
「どういうこと?」
「いや、お皿はまだ洗い上がってないけど、私の目にはせんならんことがいっぱいに見えるんだよね。この辺片付けるとか。でもそうではなくて、『お皿を拭く』と役割を決めてるってことなんだね。」

この後えんえんと話は続くのですが、ひとまずこれまで。この会話で私が気づいたことは、家事をメインにマネージしている女性は家事を「一連の仕事」として見ていることに対して、スーパーサブ(という立場に自らを置いている)の男性は家事を「パーツ」として捉えている、ということなんですね。おそらく普段家事をメインにマネージしている女性(仮にここでは主婦と命名します)は、よそへ行って台所の片付けをお手伝いすることになっても、「私はお皿拭きします」と言ってお皿拭きだけに徹することってまずないと思うのです。きっとどこがどう片付いていないのか、これからどんなふうに作業が流れていくのかという「全体を見通して」、その状況で自分のすべきことを見つけ、協力しあいながら仕事をこなしていくでしょう。「台所をもとあった状態にきれいに片付ける」という目的に向かって、それぞれが出来ることを見つけてしていく。それが主婦の基本的な姿勢だと思うのですが、どうでしょうか。

しかし家事をメインにマネージするという経験をしたことがなければ、家事がどんなふうに組み立てられているのかという「全体像」はなかなか分かりませんよね。例えばポテトサラダを作ったことがなければ、「まず最初にじゃがいもをゆがいて冷ます」よりも先にきゅうりを刻みはじめちゃう、というようなことだって初めてのときには起こりえてしまう。どういう手順で作れば効率的なのか、ということは「全体の流れ」が見えて初めて気づけることだったりするわけです。ですから家事を自らマネージしていない立場の人にとって、「家事をパーツとして見る」というのは当然の視点なんだろうなぁと思います。そしてそれに対して全体を見ている主婦は、「今これをしてもらえたら楽なのに。なんで分からないのか・・・。」と常にストレスを抱えてしまうのではないか。「お皿拭き」ももちろん有り難いけれど、まだまだほかにも仕事は山積みなのに、何も見えていないんだろうか・・・と。そう考えると、いくら男性が「パーツ仕事」を負担してくれても、女性の負担感というかストレスは軽減しないという、悲しいからくりが見えてきてしまいます。

もちろんこの家事をめぐる温度差みたいなものの原因はこれだけではないでしょうし、そこに一因をみたとして「ではどうするか?」ということに関してはそのご家庭ごとに様々な選択肢があるでしょう。またこれを「問題」として掲げて問題解決に向かうかどうかということも、人によって見解が分かれると思います。どうしても「よりよく」を目指したがるという職業病にとりつかれている私は、「お互いのストレスを減らすために出来ることはしたい」と考えてしまいがちですが、文句をぶつけ合いながらなんとかやりくりしていく、それでももちろんいいのだと思うのです。

でもこのことに関して出来ることを考えてみると、「立場の違いを理解して、コミュニケーションをとる」ことなのかなぁと思いました。主婦ではない人が家事を一連の流れとして全体を見ることが出来ないのは当然のことである。そのことをまず受け入れて、「全体の流れを伝えるようにしてみる」「ここで、こういうふうに手伝ってもらえるととても助かるのだと伝える」ことから始めてみてもいいのかなぁというふうに思っています。外で働いてきて疲れている男性に対して「こうして」「ああして」と伝えるのは偲びない・・・と思ってしまいますが、きっと男性も女性が無言でイライラしているよりは「こうして」と明確に言ってもらえるほうが(精神的には)楽なのではないかなぁ・・・それはちょっと分からないのですが(男性陣に伺ってみたいところです)、きっと家事に協力的なご主人をもつお母さんがたが多いと思うので、まずは伝えてみる、というのもひとつの手のような気がします。それはもちろん、「だいじょうぶ」と言って何でも一人で抱え込もうとしがちな私にとっても、ものすごく大きな課題です。

いやしかし、そんなふうなチームワークが必要だというのは、状況がシビアだ、ということなんですよねぇ。夫婦二人だけのときにはやりくりできていたことが、子育てをするようになると「自分の持ち場を守っている」だけではどうにもならなくなってしまった、ということだと思うんです。つまり、「核家族」や「夫婦共働き」での子育ては常に「オーバーワーク」・・・やれやれ、と思ってしまいますが、チームワークの醍醐味を経験できる機会でもあると考え直して、学べることは学びたらいいな、と思っています。