1.5のアミーゴ

supply72009-01-21

保育園再開の初日、お迎えに行ったらいきなりニーニャが鼻水をたらしていて、笑った。翌週には咳も出はじめ、食欲も落ち、お腹もゆるゆるに。おお、風邪の諸症状そろい踏み。そして一昨日、ついに熱発。39.6度、ええもう驚きませんとも。まだまだマルニュウ*1真っ最中のニーニャ、きっちり1ヶ月に2回のペースでダウンしてます。そんな生活を1年余り過ごして。多少の熱や、「医師から抗生物質を処方された細菌性の風邪、なのに嫌がって抗生物質をまったく飲まない」でも、そうそう死ぬこたない。ようやく、そう実感できてきました。初めての症状だと慌てるけどね、やっぱり。

かけがえのなさ。なんてのを書くつもりはなかったんだけど、ふと思い出しちゃった。いま読んでいる『小説の自由』(保坂和志、新潮社)に、こう書いてあった。

 しかし私にとってうちの猫たちがかけがえがないのは、私が猫それぞれの個性を発見したからではない。それは逆で、かけがえがないから個性の違いが一層よくわかるようになっただけのことで、(略)。
 堂々巡りになるが、そのかけがえのなさは一緒に暮してきた時間にしか根拠がないのではないか。――ペットショップでの出会いでも捨て猫(犬)との出会いでも、「最初に目と目が合って、もうメロメロになった」という言い方があるけれど、一緒に暮らす過程で発見していく個性とだいたい同じものとして、「最初の出会い」が飼い主と猫(犬)との絆の”神話”としてそのつど確認されているのであって、最初の出会いそれ自体には以後何年にもわたって飼いつづける気持ちの強度を維持してくれる力はない。(略)
 「最初の出会い」というのは正しくは最初=一瞬ではなく、「子猫(子犬)のとてつもない可愛らしさ」ということで、その期間は三カ月から半年はつづく。その時間の中でかけがえのなさが醸成されていく。(p149-150)


ちなみに話としては「私」とはなんぞやということなので、これを子育てとくっつけるのは頓珍漢かもしれないけれど、「あー!」と、猫も犬も飼ったことない私はすごく思った。私の場合「ニーニャを胸に抱いた途端、溢れ出る母性愛」なんてのはなくて、「うーむ、カモノハシみたい(=これが噂の哺乳類か)」と戸惑いながら、ともかくいちばん近くにおるので絶対的に弱い彼女の保護をしつづけ、そのうちに「あら、かわいいじゃん!」が出てきて、2年と1ヶ月経ったいまは胸を張って「かけがえない存在です」と言える、そんなかんじ。
結婚も(私にとっては)そうなのだけど、どういうふたりが結婚したか、よりも、ふたりがどういう時間を重ねてきたか、が圧倒的に大切で、ひょっとしたらいまから運命のひとなんて出てくるのかもしれないけれど、いまのところ12年(同棲時代からあわせると15年だー)の大半を一緒に「どうするよ?」と言いながら過ごしてきたツレが、かけがえない。胸を張って。*2

そして最近かけがえなくなってきたのがニーニャの騎士のディエゴで、たとえばディエゴのウン○ならかなり平気できれいにしてあげられる。他の子のはできない。もともとディエゴがすごく素敵な子というのもあるんだけど、それ以上に、やっぱり一緒にいた時間が長くなってきたからかなと思う。ニーニャが2で、他の子が1なら、ディエゴは1.5だ。といってもそれはこちらの一方的な好意かもしれない。なんせ私たちはマイノリティ、見た目で「チノ(チャイニーズ)!」と嘲笑されることも少なくないアジア人だ。……という「引っ込み」の部分を、この10年のスペイン暮らしの間じゅう、いつもどうしても抱いている。

そうしたら先週、ディエゴ宅での、去年の担任の鼻ピアス保母バネッサを交えたプチ新年会で、ディエゴ母のエバが言った。「実は私ね、いままで友だちができなくてどうしようと思ってたの。紹介されて会ったり、公園で会ったり、でもママたちといまいち話題が合わない。そしたらカナと知り合った。一緒に公園行って『ときにスペイン内戦のことを訊いていい?』なんて言うひと、スペイン人でもいなかったもん(笑) しかもディエゴとニーニャは3ヶ月違いでしょ。こうやって一緒に育って、ふたりが20歳になる日を想像したりするのよ」 泣きたいほどうれしかった。壁を作っていたのは、私だったか。

もともと私はかなりできる、あるいはすごく小さな人間で、ガバッと心を開いてすぐに同性の友だちができるタイプではまったくない。子育てにおいてもその特性は存分に発揮され、まあつまり、心からひとに相談をしたりはできなかった。それがエバという友だちを得て、彼女とディエゴという存在が、いかに私たちにとって救いとなっているかを、いまつくづくと感じている。一緒に子育てをしている、それだけで、どれだけ気が楽になることか。自分の子を「1.5」くらいにはかけがえなく感じてくれている他人がいる。それが、どれだけありがたいことだろう。

コジポンと同じく、よそでは絶対にウン○をしないニーニャが、この日ディエゴ宅で思いっきりかました。ニーニャもまたそのあたりを感じ取っているんだろう。ああ、どうぞこれを読んでいるあなたにも、ニーニャのディエゴや、初々ちゃんのバンコちゃんや、トンビさんとホッチキスさんのぼっちゃんたちのような、「友だち」との出会いがありますように。
あっそうだ。今日の写真は、トイレトレーニング中、公園で用足し後にフルチンで笑顔で逃走する騎士ディエゴでした。

*1: アイリちゃんの昨日のエントリー参照。

*2: って、誰にだ。