カニ人生か、カニカマ人生か。

supply72009-01-23

 いやはや、今週はかなりしごかれました。思ってもみない要求が次々に立ちはだかり、その都度、ヒコ大号泣&大げんか、そして母ちゃんも涙…。日々格闘、という感じでした。しかし今日は、実家でお泊まり。ダンナも飲み会なので、かなり久しぶりのひとりっきり。本を読もうか、絵を描こうか、録画しておいた番組を見ようか、まずはゆっくり生姜風呂にでも入って、アボカドの刺身と鶏鍋で熱燗でも…と、夢は広がりますが、まぁ、それこそ「舟唄」の「憎い〜恋しい〜憎い〜恋しい〜めぐりめぐって今は恋しい〜」という気持ちがゼロってわけじゃありません。だけど一緒にいるときも「ひとりになりたい…」という気持ちがゼロどころか右往左往しているわけなので、それぞれの時間を味わい尽くそう、ということです。
 ヒコを育てることについて「大変だ大変だ」と言ってはいるし、たしかに動きや感情の激しさには、ただならぬものがあるのですが、そのぶん、なのかどうなのか、あまり悩まずに済んでいる部分もあります。おむつ外しは保育園の大いなるサポートのおかげで、あっけなく終わったし、起きてる時に粗相することはまずないし、夜の「しかぶり」も週に1度あるかないか。「男の子は弱い」と、私もよく言われましたが、突発や嘔吐下痢などの「避けて通れなかった道」以外の「急な発熱」などもほとんどありません(一度「肺炎で入院」という大きいのをやってしまいましたが)。強いのか、それとも普段の「動き」で、なにか悪いものを発散してしまっているのか。身体や病気の表現には、きっとまだ読み取れていないものが膨大にあるのだろうな、と思います。
 読み取れていないもの…ついそんなふうに考えすぎること、っていうのも、またあります。「すべてのことには意味がある」なんて思いすぎると、「腹が減って機嫌が悪かったから発生した単なる言いがかり」が「トラウマになりかねないことに遭遇したことを知らせる深遠なメッセージ」になってしまい、果てしなく骨抜きな事態になりそう。だいたいトラウマなんて、1つや2つ無い方が寂しいのではなかろうか? 誰のことも憎んだり憎まれたりしたことない人生なんて「カニだと思ったらカニカマだった。何?カニカマだってがんばってる?ああそうさ、カニカマにもそれなりの旨さはあるけど、でも決定的にカニじゃないだろ!」っていうようなつまらなさがあるんじゃないだろうか。貧乏くさい例えですけど。

 話はまったく変わるんですけど、先日、大皿いっぱいのオムライスを作りました。「それぞれに包む」というのがあまり得意でないので、いつも丸く焼いた卵をベロンと乗せるんですけど、この時は大きなフライパン分の大きさに焼きました。そしてやっぱりアンパンマン。一体全体、この世の中には、こうしてオムライスに描かれてお腹の中に消えていったものも数えたら、何千何万の「彼」が存在するのでしょうか。今夜もたぶん、5000世帯くらいで、ケチャップの「彼」がテーブルに乗っている気がするのですが。