気づかなかった自分に出会う

ホッチキスさんご夫妻、元気な女の子のお誕生おめでとうございます!どんな赤ちゃんなんだろう?と思いを馳せたら、「うわ〜生まれたての赤ちゃん、抱っこしたい!」とウズウズしてしまいました。もう殆ど忘れてしまった「その感触」・・・忘れてしまったというのに思い返すと幸せになるのだから、不思議なものですね。また幸せのおすそわけ、楽しみにしております。

ところで子どもの手が離れてくると、「二人目は?」と聞かれることも増えてきます。その度に「いやぁ・・・まだまだ無理です」というふうにお茶を濁しているのですが、なんとなくそう答える自分に小さく傷つくことがあるんですね。いや、そのように言ってしまうと「聞いてはいけないことを聞くな」というメッセージに受け取られがちなのですが、もちろんそうではありません。(←強調)それは質問それ自体や相手が悪いのではなく、「その質問をされることで露呈する、自分のゆとりのなさ」や「子育てを無条件に楽しんでいない自分」に直面させられるというだけなのです。もし自分にゆとりがあって、子育てを大満喫していたら「そろそろ二人目を・・・」と思っているでしょうところを、「いや今は無理・・・」と躊躇してしまうのは、やはり私にとって子育ては今のところ負担感や大変さのほうが多い体験なのだと思います。そのことに気づくと「やれやれ私はまだまだだなぁ。キャパシティが小さいなぁ。」と(自分に)がっかりしてしまう。こんな年にもなって、「そんなにもセンシティブでどうするんだ」という話で申し訳ないのですが、まだまだ自分のキャパシティをそのまま受け止める度量がないんですねぇ。

さてその小さい小さい私のキャパシティですが、その中でもとりわけ容量が小さいのが「体力」。もっと言ってしまうと、その(小さい容量の)体力を支えているのが「相対的にながーい睡眠」なのですが、子育てで最も削り取られるのがこの睡眠ですよね。ですから、もともと体力がないうえに、そのない体力を支えている長時間睡眠が叶わないとなると、私の生活がガタガタになってしまうのです。もし子育てに睡眠不足が伴わなかったら二人でも三人でもなんぼでも・・・というわけには調子よくいかないと思いますが、ずいぶんとハードルは低くなるように思います。なんて、そんな「あり得ない話」をしてもしかたがないよねぇ。だったら体力作りに励むほうが、よっぽども現実的です。

しかし独り身の頃から「よく眠るほうだ」とは思っていましたが、自分の健康がこれほどまでに睡眠に依存しているということは、子育てをして初めて気づいたことです。子育てって、こんなふうに「自分が気づかなかった自分」に出会う体験なんですね。これまで私は自分の小ささというネガティブな側面ばかり書いてきましたが、もちろん子育てをする中で自分のよき面(例えば、子どもの成長をこれほどまでに感動を持って喜べる自分、であるとか)にも出会い直してきました。それがどれだけ自分の人生を豊かにするものであるか、計り知れない。そういう「ほかに代替できない」貴重な体験をさせてもらえるということは、本当にありがたいなぁと思っています。おそらく子どもが増えれば増えるほど、「自分が気づかなかった自分」に出会う、貴重な機会も増えるのだろうなぁ・・・

きっとホッチキスさんご夫妻も、ぼっちゃんの時とは違うこと、違うように感じるご自身に出会う体験をされていかれるのでしょうね。そういったお話も今後伺えるのかなぁと、楽しみにしております。(勝手にすみません・・・)