自画自賛のオウムちゃん

オット初々です。仕事が休みなると、とたんに曜日の感覚がなく無くなって、気がついたら月曜日が過ぎておりました。

こ初々さん、このごろはかなり話せるようになってきました。というより、耳に入った音(言葉に限る)をなんでもリピートしてしまうみたいです。先日も、家の柱を人差し指で押して「ピンコンー」「はい」「○○さんからでーす」「はい」という一連の流れを何でもやっているので注意して聞いてみると、○○さんのところは我が家の苗字を言っています。はて、なんだろうと考えてみると、ウチの実家の母からゆうパックの荷物が届いたときの状況を再現しているんですね。配達の人と初々さんとのやり取りを忠実に再現しているんです。そんなに何度も聞いたやり取りではないはずですが、数回聞いただけで遊びにしてしまえる。言葉が使える人というよりも「かなり頭のいいオウム」です。

しかもこのオウム、かなり自信満々。先日親子3人でデパートのヤングレディースの売り場でエアショッピングを楽しんでいたとき、こ初々さん、大きな鏡の前で「カワイイー、カワイイー」の絶叫連呼のまさに自画自賛。それも、お客さんだって“ちょっと自信あり”の人がやってくる、われわれ庶民だと平服で入るのはちょっとためらわれる、コム・デ・ギャルソンのブースで。その後どの店に行っても鏡を見つけると「カワイイカワイイ」の絶叫連呼です。で、店からすれば鏡をべたべた触って迷惑この上ないにもかかわらず、ありがたいことにどのお店のお姉さん達からも「かわいい、かわいい」と、また言ってもらえるのですね。
こういうときに親としてうれしいなと思うのは、こ初々さんが「自分は周囲のみんなから大切にされる存在である」と確信していることです。この確信は、こ初々さんの周囲にいるすべての大人が彼女のことを大事にしてくれていることによるのだと思います。

いま、お正月にあわせて親戚が一堂に会するこの時、こ初々さんはまさにみんなの注目の的であり、かわいがられ、大切にされ、その愛を一身に受けています。この愛される経験を通して彼女が、「自分が無条件に愛されていること」を根っこの部分で確信してくれるとするならば、彼女の人生、半分以上OKも同然です。他者から無条件に愛された経験があれば、それを根拠として自分のことを大切にしてくれるのだろうと思います。

今年、こ初々さんは、近所のおじさん、おばさんたち、初々さんの友人達、おじいちゃん、おばあちゃんをはじめ、多くの親戚達、教会のみなさんたち、そして一期一会の見ず知らずの方々から多くの愛を受けて育ってきました。皆さんから頂いたものはその愛は、親から受け取るものとはまた違った種類のものとして、彼女の大きな財産となるのでしょう。この子に関心を持ってくださったみなさんに、この子の親として感謝いたします。

わが子に受けたこの関心という愛情を、私もできるだけ他のお子さん達に返してゆきたいと思います。こうして、“他者に対する関心という思い”が循環してゆけば、たとえ“経済の血液”としてのお金が循環しなくても、人は十分に幸せに生きてゆける、そんな社会を夢見て新年を迎えたいと思います。

みなさま、よいお年をお迎えくださいませ。

     初々、こ初々、オット初々