地上に降りた最後の掛布

supply72008-12-10

我が家の便所の場所でも悪いんだろうか。どうも今年後半はツキがなく、10月帰国時の「不幸連続走馬灯」から、11月の結婚記念日には娘救急、12月に入っても私のギックリ頸、娘の誕生日に初じんましん&ツレの腰まで崩壊と、役満級の打ち込みを続けている趣きが。人生には箱テン清算がないのが辛いやね。雨アラレ降るマドリードで頭の大きな親子3人、ヘロヘロの身体を寄せ合って、箱シタ人生続行中です。

とはいえ大局的にはどん底でも、3人集まれば、ダウンタウンの見れないスペインでも毎日どっかで笑えることがあるのが有難い。今週の日曜、2歳になった3日後、たしかニーニャはブロックで淋しそうにひとり遊んでいた。我が家のテレビとビデオとDVDはみんなして、まるで持ち主と歩調をあわせるようにバタバタとお陀仏になったところで、アンパンマンはやってこない。日曜で両親と一緒なのに、腰痛のツレはソファーに寝転がって3百回目くらいの『麻雀放浪記』読書中で、マミーちゃんは食卓で週明けに役所に出す書類をカリカリ整えている。

ニーニャが立ち上がり、お気に入りの小さなボールをつかんで、トコトコ歩いてきた。ああまた廊下に転がして遊ぶんだな。そう思って書類に目を戻すと、「あっちいっちゃったー」と呼ばれた。見ると、サロンと廊下の角に立ち、ここからは見えない廊下の奥を指差している。書類書きが大詰めのところだった私は「じゃ、取っておいでよ」と冷たく言い放った。でも娘は動かず、もう一度「あっちいっちゃったー」と声高に呼ぶ。返事くらいできるはずのツレは、動く気配なし。私はかなり強い口調で「あーも、自分で取りなよ! できるじゃん!」と言った、そしたら娘がぶぎゃーと泣き出した。
ちょっと尋常じゃない泣き方だったので慌てて駆け寄ったけれど、娘は私の手を振り払って部屋の隅に逃げた。そしてそこに座ったまま涙目で虚空を睨み、黙々と指をしゃぶっている。うーむ、完全に心を閉ざしちょるね。それから私が「仕事」に戻ったのか、ご機嫌とりにアホの坂田歩きでも繰り出したかは、よく覚えていない。

しばらくして、ようやく女房の苛立ちに気づいたツレが娘の相手を始めた。台所にいた私が、なんか用があってサロンに入ってくると、またもや娘は廊下の角に立って「あっちいっちゃったー」と、ツレに言っている。「え? ボールあっちいっちゃったの? ごめんパパ動けない、」と言いかけたツレが、ハッとした顔をして「っていうか、持ってるべ? お前。右手にボール。ほんとは『あっちいって』ないんじゃないの? どら、見せてごらん」と言うや、ニーニャが、にまーっと、そりゃもう会心の笑みを浮かべて右手を開いてみせた。そこにはたしかに、見慣れたボールがあった。
(ああ……)*1
私は天を仰いだ。
そうか。ニーニャは、ボケていたか。人生初ボケだったのか。それを私は、ああ、踏みにじってしまったのか! ありったけの勇気を振り絞って生まれて初めてボケてみたら見事に無視されて、ああ、そしてあの涙。きっと万感の思いとともに噴き出したんだね。すまん、ニーニャ。

阪神と麻雀とダウンタウン好き、なのに外国住まいの両親のために。娘は見事な掛布顔で生まれ落ち、なぜか「イーペイコウ」と繰り返し発音し、そして今日は、ボケてみせた。身を挺して不幸続きの我が家に笑いをもたらそうとしてくれる、君は地上に降りた(頭の大きな)天使だよ。すまんね、ありがとよ。ああ、頑張るとも。そうとも、お前とともにこの冬もまた生き延びてみせるさ。
……しかしその後、どうも娘は私にいまいち心を開いてくれないんだよなあ。


ところで。誕生日の夜、まだ稼動していたDVDで彼女の成長の記録を見ていたときのこと。生後半年くらいかな、オムツ換えの途中で私が手洗いに行った隙に初めて寝返りした様子を観ながら、問うともなく「ねー、こんとき、なんて思いよったと?」と言ったら、こちらもしらーっと「パパ、ママ、あっちいっちゃった」という答えが返ってきた。うそ! いや、トンビさんちのぼっちゃんが生後すぐの母の歌を覚えていたという話もあるけど…*2。んでもなんか、できすぎだよなあ。ほんとは、どーなんだろうね??

*1: 池波正太郎風のホッチキスさんのエントリーの下手な真似。奥様の安産を祈る!

*2: トンビさんの本家ブログより、うろ覚え