受け持ちを離れて、ケアヘルプをさせて

今日は、一般的に言ってあまりなじみのないのだろう看護師の勤務体制のはなし。どこが育児につながるか、というのは最後まで読まないと分からないと思いますが、お時間のある人はおつき合い下さいませ。

どこの病院でも採用しているわけではありませんが、私が勤めていた病院の看護部では「プライマリ・ナーシング」という制度を導入していました。「プライマリ・ナーシング」を日本語に無理矢理訳せば、「受け持ち看護制度」。入院してから退院するまで、患者さんには一人の「受け持ち看護師」がつくようになっています。もちろん看護師は医師とは違って交代勤務をしていますから、一日24時間毎日毎日(受け持ち)患者さんのケアに「受け持ち看護師」が関わることは出来ないのですが、その患者さんのケアに最終的な責任を負うのが「受け持ち看護師」。どんなケアをしていくのか患者さんごとに看護計画を立案し、それをほかの看護師に提示して(自分がいない時にも同質のケアを継続できるように)協力を求めるという形になっているのです。だいたい一人の看護師に2〜3人の「受け持ち患者」さんがいて、日勤のときにはたいていの場合その患者さんを受け持つことになります。ただその患者さんが「重い」(手のかかる、とか大変な)場合は別で、「毎日ずっと受け持つのはしんどい」あるいは「同じ看護師がずっと関わらないほうがいいと判断される」ときには、受け持ちにかかわらずみんなでじゅんぐりと受け持っていたように思います。

この受け持ち看護制度、なかなか責任は重いのですが、やはり「やりがい」があるんですね。患者さんと関わりながら、「この人にとっての問題はなにか」「それに対してどんなケアをしていったらいいのか」ということを考え、それをチームで共有しながらよりよい看護を展開していくという手法は、看護師としての能力(知識なり、技術なり、コミュニケーション能力なり)を総動員させなければ可能にならないことだから。それと同時に、「この人は、私の患者さん」という愛着のようなものも持て、よりよいケアを目指して「やる気」も出ます。ただ「責任が重い」ということと「関係が密になる」ということが裏目に出ると、なんというかのめりこみすぎてしんどくなることもあり、「どういうわけか、格闘しているような気分・・・」なんていうこになることもしばしば、だったりするわけです。これも育児の「がっつり向き合いすぎる日々」に通じるところがあるような気がしますが、今回はそういう話ではないのでここはさらりといかせてもらいます。

そういう受け持ち看護制度をベースにしながら、日々の勤務体制も基本的には「受け持ち」制になっています。各チームごとに看護師が数名配置され、だいたい日勤帯で一人の看護師が受け持つ患者さんは6〜7人。医療的な処置から、医師の指示受け、身の回りのお世話(清潔、排泄、食事など)の何から何まで、責任を持ってしなければなりません。忙しいときはどうしても治療に関わることが優先されてしまい、なかなか身の回りのお世話まで手がまわらない、ということもあって、受け持ち看護師以外に「ケアヘルプ」という役につく看護師が配置されることがありました。この「ケアヘルプ」は、受け持ち患者さんを持たない、フリーの何でも屋さん。受け持ちをしている看護師をまわって「何かすることないですか〜」とご用聞きをしながら、お風呂いれ、食事介助、点滴つなぎ、はたまた患者さんとのお散歩など、時間のゆるす限りありとあらゆるケアをこなしていくのです。半日ずっと首にタオルを巻いて片っ端から風呂入れをしていることもあれば、ひたすら頻コールの患者さんの対応をしながらコール受けをしているなんていうことも。とにかく忙しく「やることだけやっていれば、まぁOK」という役でした。私は時々つくこの「ケアヘルプ」の役が大好きだったのですが、それはやはり「ひたすら仕事をこなすという達成感」とあわせて、「受け持ちをしないという気楽さ」がよかったのだろうと思うのです。とにかく「風呂入れ」とか「点滴つなぎ」とかいう断片的な部分でしか患者さんと関わらないので、その患者さんの全体像は見えないどころか密に関わることも出来ません。「プライマリナーシング」がしたくて前の職場に就職したくらいなので、基本的には「責任をもって、みっちり、がっつり、継続的に」看護がしたいクチなのですが、それでも「毎日それだと疲れる・・・」というのが本音だったのかもしれません。ですから時々そうやって受け持ちを離れて、気楽に「何でも屋さん、お手伝いさん」役に徹することができる、つまりは「サブにまわれる」というのは、仕事をするうえでの息抜きにずいぶんなっていたように思います。また、ケアヘルプをすることで見えてくる患者さんの別の顔、だってあるんですよね。

そう考えると、子育てって常に「プライマリナーシング」状態ですよねぇ・・・いつだったかカナさんが、「退場できない辛さ」について言及されておいでだったと思うのですが、私も時折「ケアヘルプにまわりたい・・・」と思うことがあります。そう、子どもを産み育てている以上「プライマリナーシング」を引き受けることにやぶさかではありませんが、ほんのちょっとの間でもいい、そこからまるごと逃げるのではなく「受け持ちを離れて、ケアヘルプをしたい」と思う私がいるのです。おむつがえだって、着替えだって、お風呂だってするけれど、「一回受け持ちを離れさせて・・・」という時が、周期的にやってくるような気がします。そんな話をオットにすると、「おばあちゃんの立場だね。」と笑っていました。そうだよねぇ、きっと「孫がかわいい」っていうのは、受け持ちを離れてケアヘルプをしているようなものだからなんだろうなと思います。

なんてね、「ケアヘルプをさせて!」と言いながら、一昨日は味噌作り熱が高じて味噌瓶作りをしに、一日がかりで京都の山の中へ行ってきたわたし。ケアヘルプどころか、こども丸投げして作陶しに行っているのですから「お休みをちょうだいいたします」状態ですよね。こうしてちゃーんとお休みをもらっているというのに、ケアヘルプをさせろ〜だなんて、なんだかとっても贅沢なのですが、それを棚に上げても言いたかったことは、何をするにしても「ずーっと受け持ち」というのは思いのほかしんどいことだった、ということです。子育てをしていてちょっと気持ちが鬱々とするのは、これがしたくない、あれがしたくない、ということでもなく、また「自分の好きなように好きなことがしたい」というのでもなく、ただただ「ちょっと受け持ちをかわって欲しいな・・・」というようなものだった、ということ。そしてそれがなかなか周囲には伝わらないんですよね。

そんなわけで、少しでも多くのお母さんが、ちょっぴり受け持ちを離れてリフレッシュできる機会が増えるといいなぁと願い、いろんなことを棚上げにして長文をしたためてしまいました。おつきあいくださり、ありがとうございます。