目指すは“ヒラメちゃん的父ちゃん”

最近、こ初々さんはこちらの言っていることがかなり分かりますし、自分でもいろんなことが伝えられるようになってきました。それと同時に、聞きわけが良くなったというか、なんだか“いい子”になった感じがするのです。たまに、こ初々さん、自分で行動を起こす前に、親に対して「お伺い」を立てることも出てきました。私がこ初々さんの様子を見ていることに気が付くと、こちらの顔を見て「いい?、いい?」と尋ねてくるのです。おやつを食べたりするのにも尋ねることがあります。「別に親の意向をいちいち気にしなくていいんだよ、食べたいものがあれば食べちゃえばいいし、したいことがあれば親を気にせずやっちゃいな」と、親としては思うのです。「そんな、今から親の目を気にしなくていいんだよ、自分の思うように生きてくれ」と。ですから、こ初々さんがなにか自分で始めたら、できるだけそちらを見ないようにして、「親の知らないところで勝手にやってる状態」にしたいと思っています。で、「見て見てぇ」と注目を要求したときにはしっかり見てやる。ただ、完全に目を離すといろいろ厄介なことがありますので、見ないようにして見ると。

このように「自主自立で思うように生きてくれ」と思うのですが、その一方で、今、この発達段階のこの人に、“あなたの好きなように”という自主性を望んでよいのか、とも思うのです。つまり、15歳の人間にとって善なるものが1歳の人間にとっても善であるかどうかはよく考えないといけないと。今の時期は、よい―わるいの枠組みを親から学ぶ(社会的参照:social reference)時期なのでしょう。これから2,3歳の時期に、しっかりと“わたし”を作っていくためにはこの枠組みが超自我的機能(道徳や規範的機能)をはたすでしょう。つまり抵抗を感じることによってのみ“わたしの境界”が形成される、と思うのです。そのたいせつな時期に、なんだか自分の15歳のころの気持で“こうありたい親”をやっちゃうとそれはそれでまたややこしいことになりそうな。

そう思うと、“見ないで見る”のさじ加減がますます難しくなりますが、まぁ第一子ってやっぱり親の目が届きすぎるんでしょうね。ですから、普段はできるだけ“横眼”にしておいて、いく時はいく。今は、そういう、ヒラメちゃん*1的父ちゃんでいたいと思います。

*1:『じゃりん子チエ』に登場するチエちゃんの親友。チエちゃん同様相撲は強い。絵の才能には非凡なものがある。