今日のタイトル

昨日のキリスト教の礼拝の説教で聞いた哲学者キルケゴールのことば。「愛の負債を負うことのみが、人に課せられた唯一の義務である」。久しぶりに力のある言葉に出会った。
私は、実損も・・・ジツゾンと入力して実損と変換されるのはワープロソフト*1の性能の問題ではなく、私が普段使う語彙の貧弱さを露呈しているのだ。で、実存も哲学も分からないのだけれど、こういう力のある言葉に出会うと生きる勇気を与えられる。すごいよね、「借りを作ることだけが義務」なのだ。こういう言葉の前には、「生きる意味」とか、「社会のため・人のために」とか「自立しろ」という言葉が消し飛んでしまう、と思う。
「めいわくかけて、ありがとう」のたこ八郎や「いれものがない両手で受ける」の尾崎放哉*2のように、一人で生きられないのを芸にしなくてもいいのだ。そこがベースラインなのだ。さんま師匠の言葉を借りれば「生きてるだけで丸儲け」なのだ。
もしかりに、少しなりとも誰かの為に働けたとしたら、それは余暇なのだ、自分にとっての。余暇はそれ自体が目的であり、見返りを必要としないのだ。余暇は楽しいのだ。楽しいからやるのだ。途中から赤塚先生が降りてきているのだ。一つの主体にこだわるのはバカなのだ。実損がいけないのだ。わしはキルケゴールなんか、食べたことはないのだ。ぜひとも食べてみたいのだ。つまり、「愛とはバカボンハジメちゃんとママなのだ」。「なのだ」という語尾はすごいのだ。

*1:正確にはMS-IMEであるが

*2:自由旋律句の俳人。とにかく人に借金しまくって、人に迷惑をかけ続けて、ほとんど野垂れ死に同然に亡くなる。オット初々が高校生の時、放哉の本を読んでいたら、国語の先生に本気で心配されてしまった、そんな人。