私のリュック

今日は11回目の結婚記念日でそれを1歳の娘と迎える不思議を書いてもいいんだけど、ここまで書いたところで語りつくしたような気がするので、おしまい。


スウェーデン人の友だちが教えてくれたかの地の諺に、「ひとは、それぞれのリュックを背負っている」というようなのがあった。大きさも重さもそれぞれだけど、ともかくそのひとが背負えるリュック。

ニーニャの恋人のディエゴ君はかなりの多動児(というの?)で、逃亡・絶叫・かみつき・号泣・大笑いと、ほんとに1秒も休む間がない。保育園のお迎えには水曜以外、共働きの両親がなんとか時間をあわせてやってくるのだけど、スタッフから乞われて赤十字で勤務する心の広く想像力豊かなエバと、アポなし突撃辛口取材で大人気のテレビ番組のカメラマンである冗談好きの大男ペドロがふたり揃っても、ディエゴ君を保育園から家まで連れて帰るだけでおおわらわ。最近は、公園に行くたびそこでよその子に噛みついたりなんだりするのでもう行くとこないわ、と、エバが嘆いていた。

一方でうちのニーニャは基本的に「無動児」。防御としての攻撃こそすれ、2時間に1回約15分くらい訪れる「ウキウキきゃあきゃあタイム」以外は、見ていて心配になるほどじーっとしている。たとえば保育園から帰ってきておやつを食べてお風呂に入るまで、最近は外が寒いから家でビデオを見ていることが多い。私は隣で洗濯物を畳んだり、まな板と材料をもってきて料理の準備をしたり、できるだけ傍にいるようにしている。でも気づいたらそのあいだ1時間半くらいまったく喋ってないことがある。あらまこれは親としてどーなの? とちょっかいかけたら、けんもほろろに嫌がられたり。彼女の場合、どうも「ええから、放っといてんか」という時間が多いような気がする。(勝手にそう解釈している危険も大、だけど)

ディエゴにはペドロとエバと、さらに週の半分同居する10歳年上の兄ウィリー(残りの半分は実母のところ)と、よくお迎えにも一緒に来る小学校教師の叔母クララと、近所のおばあちゃんと。それだけのすべてのひとが必要だ。一方で、下手すると朝の約30分以外は父親と一日中会うことのない日が1週間以上続く、しかも常に一緒にいる母親がちょっとビョーキな我が家では、ニーニャでなければならなかった、と、つくづく思う。

「リュック」というのは幻想で、なにか起きたときに、「これは私に必要なことで、そして私はこれを乗り切れるだろう」と思い込むためのおまじないかもしれない。でも、「ここにはない・一度も実現したことのない・理想の姿」を求めてそれと現状とを比べて落ち込んだり焦ったりするのではなく、いま現在のしょうもない自分を含めて目の前にあるすべてをありのまま受け入れるために、なかなか悪くないイメージだと感じている。私のリュックは狭いし小さいしたぶん居心地悪いだろうけど、ニーニャ、勘弁しておくれ。それでもニーニャを背負っている、ニーニャがやってきてくれたことで、リュックもちったあ大きくなってると思うんだよそれなりに、たぶん君のかたちにね。