種を育てるタネ

 こないだの日曜から、ついに妹と生後一ヶ月の息子…私の人生初の甥っ子が住む沖縄へ行ってきました。3年ぶりに見る赤ん坊は、とても小さくて、ふにゃふにゃで、頼りない気もするんだけど、すでにいっぱしの人格が(種ながらも)そなわっていることをギンギンに発しながら、しょっちゅう乳飲んでウンコしてました。ヒコがこの時期どんな顔をしていたかは、本人には申し訳ないくらい思い出せないのですが、甥っ子と違う、ということだけはわかりました。違うんですけど、でも、スリングに入って眠ってる顔は「あれ?見たことある」という感じで、やはりまったくの他人ではなかったです。
 ナマの甥っ子に会えたのも感慨深かったですが(なんせ離れたところに住んでいるので)、母になった妹、というものにも、ちょっと感動しました。それがもう、予想していたよりもずっと「妹のまま」だったからです。「子どもを産んだら世界観が変わる」「インドに行けば世界観が変わる」なんて言い草については、たぶん、日本でもかなりのレベルで懐疑的な私ら姉妹。「子ども」や「インド」がたいした存在ではない、というのではなくて、なんというか「そんな虫のいい話はねえだろ。簡単すぎだろ」っていう感じでしょうか。だから今回、妹が、泣きわめく甥っ子に「あー、はいはい、どっこいしょ」と、クールに乳をやっている姿を見て、やっぱりなぁ、と安心しました。
 でも、それとおなじくらいやっぱり、妹は疲れておりました。3年前の私とおなじく、基本、赤ん坊と二人きりで、赤ん坊の扱いにもまだまだ慣れず、乳関係もスタートしたばかり…あぁ、思い出すだに「長い」。「永遠にこの状態が続くのでは?」という、あの時間を過ごしているようでした。「すぐ大きくなるよ」と言うのは簡単だけど、それは「インドに行けば世界が変わる」のとおなじように、簡単すぎることのような気がします。かといって、必要もない「苦行」は、極力ない方がいい。(どうも「子育て界」には、それを乗り越えるべきだという暗黙の了解がある気がしてイヤなんです。そもそも不安をあおりすぎるし。)私がスリングに甥っ子をひょいひょいっと入れるのを、手品のように感心した妹を見て、このブログが立ち上がったころに心がけようと思った「後続を楽に」ということを忘れてはならないと思いました。明かせるタネは、心身両面にまだまだあるはず…。

 そして、ふにゃふにゃの甥っ子と並ぶヒコを見て、あらためて思ったことは、

  3年という月日しか、人を3歳にはできないんだな。

 ということでした。長かろうと、短かろうと、それだけは、揺るぎないことのようです。