赤ちゃんの「可愛い育てられ戦略」

先週の初々さんから“可愛らしさ”について心理学の立場から書くように、との宿題が出されておりました。私の少ない知識の中から、“可愛らしさ”と子育てについての研究をひとつご紹介します。

ヒトの赤ちゃんは、大体生後8週ごろから「アー」とか「ウー」とか「クゥー」というような声を出し始めます。これをcooing(クーイング)というのですが、正高先生(京都大学霊長類研究所)の研究によりますと、3か月を過ぎるころから、cooingにも2種類のタイプが出てくるようになります。一つは非言語音のcooing。もう一つは言語音のcooign。非言語音のcooingは鼻音の要素を多く含んだもので、私たち大人が出している音とは異なるものです。一方、言語音のcooingは、大人と同じ言葉を構成するのと同じような音です。この違いは、あかちゃんの喉の発達によるものなのですが、最初のころ、赤ちゃんはこの2種類のcooingをほぼ半々の割合で出しております。
ところが、当然のことではありますが、成長につれて非言語音のcooingは減少し、言葉の構成要素である言語音のcooingに取って代わることになります。この変化の原動力として、赤ちゃんの持つ力と養育者*1の持つ力が、実に巧妙な形で相互作用するのです。
赤ちゃんには、随伴性知覚の能力が備わっています。「随伴性知覚の能力」とは、簡単に言うと、赤ちゃんが出した声にタイミングよく養育者が答えてくれているか、自分の出した声とは関係なく大人が声を出しているか、その違いがわかる、ということです。つまり、自分の声に対する養育者の声かけの随伴性の有無を知覚出来るということ。で、養育者がタイミングよく赤ちゃんの声に応えている場合、赤ちゃんの言語音が増加します。
一方、今度は赤ちゃんが声(cooing)を出している場面をビデオにとって、大人に見せて印象評定*2をさせてみます。複数の大人がたくさんの赤ちゃんの言語音と非言語のcooingを評定した結果、非言語音と比較して言語音の方がより“可愛らしい”と評定されたのです。つまり、大人は赤ちゃんが言語音を出しているときの方がより“可愛らしい”と感じる、ということです。
当然のことながら、大人は赤ちゃんが“可愛らしい”と感じる場合により濃厚な接触をします。つまり、赤ちゃんが言語音を出した時に大人は“可愛らしい”と感じ、言語音で赤ちゃんに語りかける。そうすると、上記のように赤ちゃんは自分に語りかけられたことを知覚出来ますから、随伴性の知覚が働いて、また言語音を出す。このようにして、大人の“可愛らしさ”を感じる能力と赤ちゃんの随伴性知覚の能力が上手に相互作用して、赤ちゃんは言葉の元になる音を出すように出すようにと、相互作用が回転してゆくわけです。
さらに面白いことに、養育者が赤ちゃんに声をかける時、大体はもうそうなるのですが、ちょっと声が高くなって、抑揚も大きくなります。これを“マザリーズ”と言ったり“育児語*3”とするのですが、この育児語、大人は自然になってしまいますね。「あらぁ、おちっこ出たのぉ。よかったねぇー」てな感じで。大人が普通話している言葉より少しピッチが高くて抑揚が大きい声の方が、赤ちゃんも好きなんです*4。少し高い音の方が赤ちゃんにとって聞きやすいことも確かめられているようです。また、この赤ちゃんに対する育児語は、かなり文化普遍的な現象のようで、どんな言語にもみられるそうです。

こんな感じで赤ちゃんの可愛らしさは、養育者のより濃厚な接触を引き出す要因になっているわけです。そのとき重要なのは、赤ちゃんの側の能力と養育者の能力が上手に一つのシステムを作り上げて、その相互作用の中で赤ちゃんは成長してゆく、ということです。この2者間の相互作用システムは、言語音獲得だけではなくて、赤ちゃんの成長の様々な場面で登場します。ヒトが人として成長していく場合、養育者からのかかわりがいかに重要であるか、そのかかわりを引き出すのが赤ちゃんの「可愛らしさ戦略」ということなのですね。

まぁ、そんなことなんか知らなくても、「赤ちゃんを見ると無条件で可愛らしい」と思ってしまうこと自体が、大人に供えられた「育児戦略」であると言ってもよいわけです。
赤ちゃんのことを“可愛らしい”と思えるか否かの所にも、赤ちゃんと養育者が皮膚接触(いわゆるスキンシップ)することで、養育者(これは母体の)脳下垂体から“可愛らしい”と思うホルモンが出てくる、という研究結果もあります。

初々さんが言うように“可愛らしさ”あるいはそこに見る“弱さ”は、他者がかかわる余地を生み出す要素であるようです。

*1:子育てはお母さんだけがするものではない、という考えから、「お母さん」を意味する用語はこういう場合使いません。「養育者」です

*2:人の印象を数値化する手続きで、多くの場合複数の形容詞対を2極として、その印象に当てはまるものを選択させます。たとえば「面白い−つまらない」を2極として、「非常に面白い(7点)」、「かなり面白い(6点)」、「やや面白い(5点)」・・・「非常につまらない(1点)」までのどれに当てはまるかを選択させて点数化します

*3:マザリーズの訳語。母親語とならないのは上の理由に同じ

*4:選考注意法という方法で調べます