どうぞったらちょうだい、だってば!

今年1月、ニーニャが13ヶ月のときから近所の保育園に通っている。運営母体はジプシーを支援するNGO。飾らない、というよりハッキリと見栄えの悪い手書きの看板の奥に、「この学校では、異なる文化の子どもたちが、分かち合い、ともに生きることを、お互いに教え学びあいます」と書いた小さな立看板がある。通りすがりに見て、すごく素敵だなと思っていた。その25年の歴史ある園の、初の東洋人園児がニーニャ。

スペイン人が半分、移民が半分。移民はスペイン語圏のラテンアメリカが圧倒的に多い。加えてモロッコイスラム教徒、オランダの新教徒、北アメリカの旧教徒、そして日本人仏教徒。背景とする文化だけでなく生活レベルも、不法移民のため正規の仕事に就けない月収4万円くらいの片親の家庭から、共働きでバリバリ稼いでいるスペイン人家庭までさまざま。こうして多様な家庭の子どもたちがまがりなりにも同じ園に通える大きな理由は、学費体系にある。家庭の収入に応じたスライド式。たとえばこの保育園の場合、給食費込みで月額約3万円〜7万円。さらに学費と給食費はそれぞれ州の補助を申請でき、実際に多くの低所得家庭に給付されている。以上は公立およびコンセルタード(半公立の私立、宗教系に多い)の話。私立は、噂では月額6万〜10万、インターになるとさらに倍あるいは青天井とか……。

ともかく、「移民ゴーホーム」ではなく「子どもも移民と一緒に育ってもいいかも。近所だし」という感覚のスペイン人家庭の子たちが来る園は、なんだかゆるいかんじ。園長は25歳のパンクねーちゃんだし、ニーニャの担任は鼻ピアス+常にローライズジーンズの尻からタトゥー&Tバックだし。……というのは実は昨季の話。ヨヨヨ。新学年になったこの9月、園に彼女らの姿はなく、連絡帳や諸設備がいろいろ小ぎれいになり、1クラス9人だったクラスは2クラス合同20人となり、園へのベビーカー持込禁止も徹底され、なんだかよそよそしい雰囲気に。そして昨日、あまり誠意ないとはいえ継続的に交渉してきた新園長の更迭が発表され、園は騒然とした雰囲気に。


まあそんなこととは関係なく、ガリシア人の初見とっつきにくい、でもハートウォーミングな新担任ベレンのもと、ニーニャは今日もおかわりを連発し(本日のメニューはニンジンのポタージュ、チキン・ロール、カスタードクリーム)、ぶりぶりウン○をし、彼女の小さなベッドにもぐりこむや数秒で寝息を立てている。ようやく昨日から朝のお別れのときも泣かなくなった。12月生まれで、頭や態度がでかいとはいえ、年齢的にはクラスでいちばんちびっこのニーニャのそばにいつも寄り添ってくれる、騎士ディエゴ君のおかげだ。

明日2歳の誕生日を迎えるディエゴ君はわりと多動児で、お迎えの刹那も教室のドアを開けてぴゃーと逃亡する。騎士役に逃げられたニーニャが「エゴゥ! エゴゥ!」と名前を呼んでも(彼女の足では追いつけない)、遠くでケラケラ笑っている。怒られたりして感情をセーブできなくなると、自分の腕を噛む。いっぱい笑い、走り回り、ブリブリ怒る。愛称「地震」くん。それでもニーニャの鼻水を先生に教え、食卓では自分のコップに水が注がれようとするやニーニャを指差し「いや、この子に先に次いでやってくれ」とボギーばりにしぶい心遣いを見せる。いい子です。

そして彼はよく喋る。1日中喋っている。別れ際には「行くなよニーニャ、行かないでカナ」と、文法的に「否定命令形、つまり動詞は接続法を使用」という高度な文章、ツレが冗談で「俺がちゃんとこれを言えるのには6年かかったが」と言っていた構文で、熱っぽく引き止める。ニーニャも負けず手にしていたネコじゃらしを差し出して「あばっちちゃ!」などと言うのだが、こちらはなにを意味するか、誰にもまったくわからない。どうやら彼に大事なネコじゃらしを手渡したいらしいのはたしかで、よくよく考えたところ、スペイン語の「どうぞ」を意味する「toma(トマ)=あば」と日本語の「ちょうだい=ちちゃ」が一緒になったものらしい。彼女なりに、保育園と家庭と、両方で使えるような言葉を創り出したのかもしれない。いろいろ間違ってるし、結果として誰にも通じないことばになってしまっているのが、ちょっとおかしく、そしてけっこう切ない。言語面での負担は、大きいだろうなあ。