男もすなるおんぶひも

突然ですが、私はおんぶひもの愛用者です。そう、子どもを背負うおんぶひも。
胸の前でばってんになる(ばってん荒川さん*1のばってんじゃなくてXJapanのXになっている)おんぶひも。

昔の子守といえば、みなこれだったのだけれど、今はバッテンがおっぱいをボディ・コンシャスにするということで敬遠されて、スリングにとってかわられた観のあるおんぶひもです。

我が家では、「両手が使えるからよさそうだ」、という理由で早くからおんぶひもを購入していたのですが、子どもの足腰が立たないうちは、なかなか一人で背負うことが難しく、また妻(初々さん)の肩こりもひどいので、しばらくは活躍の機会がなかったのでした。しかし、子どもが1歳を過ぎて二足で自立するようになると、他の人に支えてもらわなくても、背負えるようになりまして、主にオットが愛用しているというわけです。

何がいいかというと、これで自転車に乗れること。私、スリングも使いますけど、スリングじゃ自転車に乗れないんすよ。もちろん、チャイルドシート付き自転車でもいいんだけど、それだと乗り降りするたんびに、子ども乗せたり降ろしたり、ヘルメットやベルトがいちいちめんどくさい。かと言って、子どもを自転車に残したまま、ちょっとコンビニで買い物、というわけにはいかないし。それが、おんぶ紐ならば、自分が自転車から降りれば一緒にくっついてきますからね。もう自分一人で行動しているのと同じくらいの身軽さです。もちろん背中に子どもがくっついてますから、“身軽”というには多少の無理があるんだけど。まぁそれでもずいぶん楽。

それともうひとつ。
この身軽さという効用に加えてもうひとついいことは、とにかく目立つこと。どうやらおんぶひも人はWWFから絶滅危惧種に指定されているらしく、どこに行っても注目の的です。いや、本当のことを言うと、少々、好奇と憐みの目をもって見られているというのが正直なところ。夫婦でいるときはまだいいのですが、私が一人でおんぶしながら買い物したり、自転車に乗ったり、カフェに入ったりすると、どうも周囲の皆さんに、もののあわれを感じさせてしまうようです。

まあ、分かりますけどね。おっさん一人で1歳ぐらいの子どもを、おんぶひもでおんぶしていると、どうしても思い出されるのは浪曲子守唄*2。何かワケアリだと思われても仕方ないことか。あるときなんか、すれ違いざまに全然知らないおじさんから半笑いの顔で「ご苦労様です」なんて言われたり、スタバでは若い女の子たちが、必死に笑いをこらえていたりと、周囲に波紋を呼んでいるようです。これがスリングだったり、ほら外国人の男性が赤ちゃんと背中合わせになってリュック背負うみたいなやつ。あれだったりすると、もうちょっとカッコイイのかもしれませんが、どうも「おんぶひも」というアイテムが哀れ感を呼び起こすようです。て言うか、かっこ悪いんだ。

しかし、ありがたいことに(?)、「かっこいいことはかっこ悪いことで、かっこ悪いことはかっこいいことだ」という変な信念を思春期以降に身につけてしまった私としては、かっこ悪いことは全然気にならないわけで。いやいや、それどころか自分の中では「これも一つのレジスタンスだ」なんて思ってたりしますから。
それに、もののあわれ感が琴線に触れるのでしょうか。おばさまたちには結構ウケがよいのです。バスなんかでは必ずおばさまが席を譲ってくれますし、ひとりでおんぶに手こずっていたりすると、「あらあら、ちょっと手伝わせてね」なんていいながら、ひょいと背負わせてくれたりします。最近では、近所のおばあさんから「だいぶ板についてきはった」なんてお褒めの言葉(?)も頂いたりして。(えっ、褒められてないの?)

京の街で、おんぶひもで子ども背負って、颯爽と哀れ感を漂わせながら、風切って自転車に乗ってるおっさんを見たら、それはそれはたぶんオットです。「がんばれー」と声をかけてください。

そうそう、言い忘れましたが、私が愛用するおんぶひも。ネットで購入したものですが、商品名は「スタリッシュおんぶひも」。わざわざスタイリッシュと銘うたねばならないほどかっこ悪いってことなんでしょうかね。

*1:九州を中心に活躍された喜劇役者です。おばあさん役以外の姿を見たことがありません。ばってん荒川さん、亡くなってもう2年ですか。子どもの頃からなぜだかこの人が好きだった。でもどうしてこの人のことを、関西にいた子どもの私が好きになったのかよくわからない。

*2:一節太郎が歌う。♪逃ぃーげぇーたぁ 女房に未練はないいぃがぁー お乳ぃー欲しがぁーる このぉ子が可愛いー♪で始まる