ハダカニンジン買いました?

内田樹というフランス文学者に私淑している。柔らかに生きる物腰、のようなことを学んでいる。とくに「フェーズを変える」やり方を学んだことは、私には、すごく大事なことだった。いや「次数を繰り上げる」だったかな(すでにあやふや)。たとえば、ある年末の特番にて。SMAP稲垣吾郎の意見(「こういう女は許せない」とか)に賛同するか否かで、神田うの梨花などひな壇の女性タレントがYES/NOの札を掲げてケンケンガクガクやっている。そのとき、「こらそこ、なに隣とこそこそ喋ってんねんな」と明石家さんまに訊かれた(ってことはクリスマス特番だな)YOUが、「いや、『どっちでもいい』ってないのかな、って」と答えた。そういうやりかたのことだ(ホント?)。

今朝はニーニャ(21ヶ月女児)の新学期初日。久しぶりに朝早くから起こされ、顔を拭かれ髪を結ばれ、ワンピースじゃない服に着替えさせられ。「ごはんいっぱい食べときな、お昼まで食べられないよ」と理由はわからないまでもなんかせかされた雰囲気で。いつもは水着姿とかパンツ一丁にエプロンとかのだらけたマミーちゃんも、気づけばジーパンとか穿いて眉まで描いてるし(あとは化粧水すらつけてないけどね)。ただならぬ気配を感じ取ったのだろう。ニーニャ、子ども椅子に座らないと泣き、パンにチーズを塗ったと泣き、パパがトイレに行ったと泣く。

しかもいまは数少ないボキャブラリーに引きずられて感情表現をするので、ますますおかしなことになる。だいたい「チー!チー!」と泣くからパンにチー(ズ)を塗ったら、私が求めていたのはそんなことではありませぬ、と怒られたのだ。機嫌が悪いときはだいたい、最後のトピックを象徴する単語のまわりをぐるぐるまわる。だから「パンー!」と泣いてても空腹とは限らず、「エビ、エビ!」と叫んでいても、(一般日本語人が想像する「海老」「エビちゃん」「海老蔵」「EBI(ユニコーン)」ですらないのはおろか)テレビのことでもない可能性が高い。きゃつを言葉で理解できると思ったら大間違いだ。

それは、アメリカ人義姉が日本滞在3ヶ月目の頃「おみやげに、ハダカニンジン買いました」と言っても「知る人ぞ知る諫早名物・裸人参」のことではなく(そんなものはない)、博多人形のことだったのと同じだ(違うか)。さすがに、深刻な話をしていて「年金大虐殺を知ってますか?」と言われたときには、つい笑ってしまったが。たしかにそりゃ大惨事だ。まあでもこれも思いがけずフェーズが変わったので、結果的によしということで。


って、いったいなんの話を。ともかく今朝は状況がわかりやすかったので「不安感からとりあえず目の前の物事に執着して泣いてるのだろう」と勝手に判断し(勘違いの可能性も大だけどね)、そのたび、「あらまピヨピヨ来てるよ」とか「きゃあ、ジュッチュこぼれちゃう! お手伝いしてー」とか「有無を言わさずいきなりキス」とか、明らかに見当違いなリアクションで気を逸らせた。これもあまり続けると、子どもがコミュニケーション不全に対する無力感ですっかり無口で勘違いしては逆恨みの危ない子になるのかもしれないけれど、まあ、いつもこうばっかりじゃないからさ(たぶん)。

そういえばスペイン語に"distraer"という、育児の場面でわりとよく使う単語がある。traer、「捉える」というカタカナ読みどおり「もってくる、引き寄せる」という意味の単語の反対で、だから「気をそらせる」が第一義、「気晴らしをさせる、楽しませる」が第二義。これまで翻訳をしていてカチッと意味がつかめなかったけど、子育ての現場にいるとよくわかる。「気をそらせる」だけで、「楽しい」になったりするんだよね。泣いたカラスがなんとやら、ですよ。

なのでできるだけ、「3人目」を登場させるようにしている。YOUであり、裸人参な。たぶん、できるだけ遠い方がいい。「ごはん食べるの? 食べないの? それとも旅に出る?」くらいの。