ロビンソン・狂うぞー

コニチハ、スペイン孤島生活中のカナです。いやここはイベリア半島のど真ん中、最寄りの海までは直線距離約350km(東京−名古屋間)。たしかケッペンの気候区分で準砂漠相当の乾燥したメセタの上なのですが、異国で親子身を寄せ合って暮らすきもちはつい孤島風に。心優しい友人、あたたかな保育園に恵まれてもやはり。うどんやとか紫蘇とか厚切り食パンとかないし、オリンピックの中継もスペイン人が活躍する水球競歩だし。

父親は母親になれないし、ならなくてもいい。その逆もまた。というのは「その言葉を人生に組み込んだらすっごく楽になりました、サンキューベイベー」のひとつでした。実家も親戚も近くにない環境で、またもともと夢見がちな乙女座なことも災いし、つい「ニーニャにとって100%」の存在であろうとしてしまう。朝起きて、「遅刻しても自己責任よ、なんて甘やかさず主体性を育てる」母、「食物繊維をふんだんに、パンもできればインテグラルを」にわか栄養士、食卓につけば「ひとりっ子だから私が食べ物を取り合う相手にならなきゃ」にわか姉妹、って、ここまで起きてから30分。そら疲れますわ。

そんな、100円(じゃないのか? いま日本は)入れたらスコール(はないのか? もう日本には)の缶がゴロンと出てくるような簡単な出入力システムにニーニャがなっているわけないのに、つい「教育的配慮」と思しきものがそこかしこに入ってきちゃう。語れないからそれであるはずの「トラウマ」を誰もが語る時代ですしね、ええ。頭では思っているつもりの「子どもは育てるものではなく、育つもの」という考えを、しっかり軸に据えたいなあ。まずは「子育て」という言葉を忘れて「子育つ」にでもしようか。「たいへんねえ、子育て中で」「いえそうでもないです、単に子育つ中なだけですから」なんて。

言葉といえば、この密着24時間保育園の日々の24時間日本語が効いているのか(ほらまたこんな「効果」を考えちゃうのだけど)、ニーニャの日本語らしい「うにゃうにゃ」が急に増えた。「あんまー」が「いただきます」とかだけど。そうするとこっちも嬉しくって、散歩しながらいろいろ教えてしまう。昨日はツレが信号で「いま赤だから行っちゃダメね。それが…ほら、いま緑になった。ゴー」ってアンタ、信号の色を「緑」という日本語人いませんぜ。孤島では言語が謎の変容を遂げています。だいじょうぶかなあ、娘っ子も私たちも。


※<秘技相伝>というコーナーを設けてみました。それぞれが育児でつかんだ「キモ」を、「過去の自分」にもっと早く伝えたかったあの言葉を、アクセスしやすくまとめていってみませんか。いろんな「うちはこうだったなあ」もコメント欄に残していけるし。ここは気が向いたとき随時投稿で。もちろんカテゴリの新規作成、名称変更など、ガンガン好きにしてくださいね。