たまに国士目指したり三元牌ガメてみたり

ああこんなにもひとの妊娠期の話を聞くのが楽しいなんて。青年よ、体毛を抱け! ちなみに「スペインではこんなのもアリです」は、「出産前の乳首マッサージ厳禁」。要は畳の上の水練と同じで意味ないばかりか、自分に余計なプレッシャーかけるので、ということ。そして、「腹帯厳禁」。腹でこそ余分な熱を放射するのだから、と、夏はみんな見事に腹出しスタイル。とはいえ、「身体を冷やすな」という東洋医学の言葉でも編まれた身体を持つ自分は、やっぱり腹は(巻かないまでも)隠してたです。薄い腹巻なんかもして。でも結局、どっちでも元気な赤子は生まれてるし乳も出てるみたい。めだたしめでたし。


ところで、マタニティ・ブルーはほとんどなかったのだけど、振り返ればひどかったのが「断乳後ブルー」。そんなのどの本にも書いてなかったのに(個人差も大きいのだろうけど)。怒りっぽい、ひがみっぽい、イライラそして身体はダルダル。ホルモンバランスの急激な変化によるのだろう、と頭ではわかっていても、「ああ、もう生きる気力がない」とぐでーっと寝ていた日も続き。そんな自分に自己嫌悪、とか。しかも娘は歩き出す時期、自己主張が始まる時期で、かーさん肉体的にも精神的にも大ピンチ! まだ知らないけど更年期障害ってこんなかんじ?

この「断乳後ブルー」または「プレ更年期障害」どう乗り切ったか。いや、果たしていまが乗り切った後なのかもわからないけど(断乳後4ヶ月)、とりあえずわかっているのは「ともかく生き延びた」ということだけ。麻雀好きにはわかると思うのだけど、このゲームのしんどさは「見」ができないこと。サイコロも競馬も、自分がツカないと思ったら見学にまわればいい。だけど麻雀は自分が抜けるとそのゲーム自体が終了してしまう。だからとにかくツカない、叩きつけるような嵐の中を、なんとか死なないように生き延びなければならない。

その時は勝とうなんてしてもダメ、上手に打とうなんてしてもダメ。死なないこと、まだ自分が生きていることだけに「合格点」をつけながらとにかく時が過ぎるのを待つ。と、気がついたら風向きが変わっている。さっきと同じことをしていても、おもしろいようにハマりはじめる。これはもう、個人の力を超えた領域。たまにツキを変えるために、すべてツモ切りの盲打ちをするとか、アガリに向かわない鳴き仕掛けをするとかいうひともいるけど、私はなにをしても裏目に出るので、ただただ、まっとうな麻雀を(報われなくても)し続けるだけ。ま、たまに国士目指したり三元牌ガメてみたりするけどね。

……なんていうのも、生き延びたあとに振り返って言えることで。ともかく「生き延びろ」だけが、渦中にいるひとへのメッセージ。という私自身、いずれ来る更年期障害のときにまた思い出せればいいのだけど。


しかし、と書いているいまだって、ニーニャ(娘)の「イヤイヤ期」の始まりにあるわけで。オムツや服を換えるのはもちろん、食後に水を薦めただけで頬っぺたをぶーっと膨らまして抗議され、ちょっとでも強要しようものなら「ああ私の人生は損なわれた!」とばかりにごうごうと地に伏して泣かれてます。しかしあいにくスペインの保育園仕込みの娘の拒否の表現は「ノ!」なので、100%日本語の肉体の私にはあまりダイレクトに響かずちょっと救われているかんじ。これが「イヤーッ!」だったらけっこうしんどいだろうなあ。……という日々もまた、ほんの少し過ぎただけで、「ああこんなにもひとの子育て期の話を聞くのが楽しいなんて。」なんて澄まして言えるようになるのかしら。青年よ、大志が抱けない夜も、ともかく生き延びよ。ですな。