「時間」にまつわる話

毎朝きっかり5時起きの娘とともに、ながーい一日を過ごしている初々です。ニーニャちゃんもずいぶんショートスリーパーなようで妙に安心しましたが、わが娘どんなに遅く寝ても(夜10時過ぎに就寝しようが)フニャフニャ5時起き。赤ちゃんて10時間くらい寝るものじゃないの!?と勝手に期待している(ロングスリーパーの)親を尻目に、短い睡眠時間で元気いっぱい活動しております。これって「おなかがすくのは時計ですか?」的「3時間の呪い」ならぬ、「眠くなるのは時計ですか?」状態ですねぇ、考えてみると。

しかしまぁ、本当に「一日は遅い、1週間ははやい」ですよねぇ。この時間の不思議な流れ方、私も子を持って初めて体験しました。「ヒトのお世話をする」という点では同じの看護業務ですが、「時間よ、はやく流れろ」というふうに感じたことはなかったですね。きっと「二人きりでいる」ということが、時間の流れ方を変えているのでしょう。だってそこへたった一人でも加わるだけで、時間は「のろのろ」から「ゆっくり」へと速度を変えるのですから。そんなわけで娘がもっともっと小さい時分から、私はあまり二人きりにならないように努力!?していました。そしてそれは今も続いています。

ところでこの「時間」に悩まされる感覚は、やはり「他者のリズムで生きないといけない上に、代わりがない」ところにも起因するように思います。つまり、「どんなにヘトヘトでぼろ雑巾みたいになっていようと、このお方が寝てくれなければ休むことさえできない」とか、「おんなじことにつき合っているのもしんどいから気分転換したいけれども、このお方にはそんな気がないみたい」だとかっていう時です。「こうしたい(=休みたい、気分をかえたい)」という欲求が明らかに自分の中で芽生えても、「自分以外にこのヒトをみる人がいないのだから」そうすることができないというのは体力的にも、精神的にもずいぶんすり減る経験だと思います。カナさんがおっしゃっていたように、「その場から退場」できない辛さというのは、育児をする上で日に日に「おり」のように自分の中でたまっていっているような気がします。これは非難でも何でもなく、ただ立場上の違いというだけなのですが、子どもが元気に動き回っている時でもオットが「さぁ昼寝しよう!」と言ってお昼寝ができるのを、本当に羨ましく思ったりしてしまうんですね。そうしてあとからそんな自分に自己嫌悪、ということすらあります。

なんていう「子育てのネガティブな面」ばっかりツラツラと書いてしまいましたが、喜びの多い仕事である反面、こういう「あんまり誰も指摘しないけれど大変な面」があることも知っておくと違うように思います。というのも、そういうことを知っておけば対処のしようがあるからです。私が今まで書いてきたような大変さを少しでも緩和しようと思ったら、子育ては「一人で頑張ろうと思わない」ことです。もちろん一人で頑張らんなん時も出てくるのですが、そういう状況を少しでも回避するためには、平時から!?人のネットワークの構築を心がけたり、社会資源について知っておく必要があるように思います。