土地と身体。実践編。  

supply72008-07-11

先週とはうってかわって、暴力的な快晴が続く長崎です。連日真夏日。洗濯物は、容赦なく乾きます。暑いけど助かります。ヒコ氏のおむつも、ほぼ取れました。昨日の夜は久しぶりに「おむで寝る」と言って寝ましたが、むれて暑かったらしく、朝からは「もういい」と宣言していました。でも、その日はたっぷりおしっこしていたので、朝まで持たない予感があったのかもしれません。この件に関しては、私自身がかなり大きくなるまで「しかぶり(長崎弁で『小便たれ』)」だったので、彼を責めたことは一度もなく、この先責めることもないでしょう。その資格は、まったくないですから。むしろ最近取れたことで、かつての自分の「しかぶり」具合を、30年ぶりにあらためて恥じているほどです。
さて、本題。
私がこの3年、ヒコを生み育てた中で、大きなカルチャーショックを受けたのは、なんといっても乳関係のことでした。母乳にしようと思ったのは、「母乳のすばらしさ」とかなんとか、そういうこともないことはなかったですが、哺乳瓶を洗ったりミルクを作ったりしなくていいので「楽そう」という理由も大きかったです。タダだし。
でも、厳密に言えば、タダではありませんでした。詰まりやすい乳だったので、月に一度ほど桶谷式のマッサージに通ったし、食事制限もかなりしました。乳を不調にする原因は、疲れやストレスや睡眠不足というのも結構あるようですが、まずはとにかく食べ物。詰まらせやすい食べ物(室温で固形になっている油類や肉、もちなど。)を食べると、本当に、まるで何かの実験のように、みるみる乳が張ってきます。そりゃーもう、「おー、きたきたきた〜」って感じ。ものの5分10分です。
 乳は血からできている。ということは、脂っこい物を食べて、ものの5分や10分で、血の中にはみるみる脂がめぐっているわけです(成分上はもっと複雑な話なのかもしれませんが)。これは乳をやろうがやるまいが、男だろうが女だろうが関係ないはず。だから玄米菜食をしようというわけではないんですが(当時も今もしてないし。ラーメンは豚骨だし)、とにかく食べ物と体は直結しているということを、身をもって実感しました。
「トラブルなくいい乳を出すには、住んでいる土地の昔ながらのものを食べる」ということを、たびたび言われたのですが、それが、厳密に理想を言うならば、「日本人なら和食を」というレベルのものではなく、もっともっと、「そのへんの山に登って見渡せる範囲」のものらしいのです。なんと「長崎の人なら、サバを食べてもかろうじて大丈夫だけど、久留米の人はもうダメ」というから驚きです。海が見えてない土地の人が、(いくらヘルシーな焼き魚定食だろうと)脂ののった魚を食べると、乳が詰まる。こりゃー「チャイナフリー」どころの話じゃありません。長崎人であれば「佐賀フリー」「福岡フリー」「熊本フリー」などを実行しなくてはならず、産直屋の隣に住むしかありません。しかし、もっとびっくりしたのは、逆の話。たとえ日本人でも外国に住んでる人は、修行僧のように和食を探し求めずとも、やはりその土地のものを食べていればいいということです(まぁさすがにバターてんこもりはつらそうですが)。これは実際、カナさんのことを「スペインに住んでて母乳生活の友達がいるんですけど」って質問したら、そう答えられたのです。
ということは、人間の身体と土地って、思ってるよりはるかにつながっているというか、もはや植物とおなじ感じだと思ってもいいような気がします。ただし、生まれたところから遠く離れたって、ちゃんと根を張れる、自由な植物。根無し草を気取っても、それは人間の可愛いダダこねです。

ここで図解。好き放題に食べ「土地とのつながり」なんて聞くと「何?変な宗教?」と思ってるような人の認識が「1」だとすると、地産地消を推進したり、ラブ&ピース「命はみんなつながってる!」というような人でも、せいぜい「2」。でも、その実態は、なんとまぁ「3」なのではないでしょうか。
そう思えば、めぐりめぐって、子どもというものは、結構な部分、土地が育ててくれてるんだから、当面の「担当者」である自分がすべてをやってるなんて、思い上がりなんだろうな、と思いつつ、しかし、ダンナの帰りが遅い日は、確実に精神的視野狭窄に陥る、2歳児母の夜でした。