それは私です。

 ポン女史、今日も寝てます、肥えてます。
 いつの間にか日常会話にはまったく困らなくなったヒコ。保育園の行き帰りなど、いろんなことを話します。おとといは、その日発売の「テレビマガジン」を買いに港のそばのスーパーに行きながら、「このへんはねー、かあさんが小さいころは、海だったよ」と言うと、かなり興味津々に食いついてきました。「いま目の前にあるものが、ずっと前からそうだったわけではない」っていうような話が、どうやら好きなようです。この時だけではなくて、私の子どものころのことは、だいたいおもしろがってくれます。
 で、それを話して聞かせていると、いまの自分が「ダメ!」なんて怒ってるヒコの行動が、けっこう「自分由来」だということがわかって、えへへ、と思うことが発見されます。インスタントラーメン好きとか、夜更かし朝寝坊とか。

 今日は、現在建設中の家の打ち合わせでした。階段の手すりをどうしようかと相談していた時のこと。

デザイナーさん(以下『デ』)「手すり、ちゃんと付けないと、ヒコくんが飛んじゃいますよね」
私「そうですねー。でも、むしろしっかり構造物を作っちゃうと、結局それによじのぼって飛んじゃうから、もとの階段よりも高いとこから飛んじゃうことになって、かえって危ないかもです。」
デ「ハハハ、なるほどー。もう『どうしたって飛ぶ』前提で考えたほうがいいですね」
私「そうそう!彼はどうしたって、飛びますよ」
デ「じゃぁ、ギリギリのぼれない感じの簡単なものにしちゃいましょうか。…ところで、ヒコくんが『飛ぶ』のは、(ダンナと私)どちら(由来)なんですか?」
(ダンナ、首をかしげる。しばし『???』が飛び交う)
私「…あー、…私、かも…すいません…私、です。間違い…ないです」シラを切り続けてきたのに、うっかり自白してしまった犯人も、こういう心境でしょうか。

 そうでした。
 いわゆる「運動」は得意じゃないので忘れてましたけど、私は「飛ぶ人」でした。
 押し入れから、階段から、公園の遊具から…あぁ、そうでした。どんどん飛んでました。むかーし住んでた家の階段も、かなり上から飛んでました。限界に挑戦しすぎて、着地の衝撃にしばらくうずくまることも多々ありました。サッカーゴールにぶらさがって、勢いを付けて飛び降りようとしてしくじり、手首を折ったこともありました。昨日、茅の輪くぐりをしにいった神社の階段で、ヒコが自分の限界に挑戦しようとしていたのをとがめる権利なんて、私には1ミクロンもなかったのです。

 母親ヅラしてもっともらしく叱り飛ばすことは、多くの場合、天に唾することなのでした。