うちゅうのはなしばっかしでつまんない

「七人のサプライズ」どころか土曜日に更新されること自体がサプライズだったりするのだが、それにしても子どもたちに対する「ドリフターズ」の威力はすごいと感じる今日この頃である。「志村!うしろ!うしろ!」がここまで普遍的な破壊力を持っているとは思わなかった。うちの子どもたちもドリフのDVDで身もだえしている。

と、ドリフの話はまた後日に譲るとしても、先日、長男坊と一緒にテレビを見ていた。そのテレビ番組というのはいわゆるハプニングもの、「ザ・奇跡の生還!」とか、「ビックリ映像!」とかそういうものである。

とにかく、大洪水に大地震、大事故・・・砕ける鉄柱、崩れ落ちる鉄橋、大破する車・・・とにかくカタストロフ満載な番組で、長男坊も興味深々。「お父さん!あれ見て!あれ!」と、いつかどこかで見に覚えのあるようなリアクションを延々と繰り広げるぼっちゃん。

やはり子どもというのはこういうのが好きなんだな・・・と思いながらその様子を見ていると、コーナーは変わって不思議映像シリーズ。つまり、未確認飛行物体すなわちUFOや未確認不思議生物UMO(というのか?)の映像がバンバン出てくる。

ホッチキスは『それは合成だろ・・・』などと心の声でつぶやきながらダラダラと見ていたのだが、そのとき、ぼっちゃんがふと一言。


「なんか、うちゅうのはなしばっかしでつまんないや」


思わず絶句した。別にぼっちゃんの口から「宇宙」などという単語が出たことに驚いたわけではない。

「そうかー。子どもの純真な心には宇宙人や異世界人はまったく身近な存在であって、子どもって、むしろまだ宇宙とかそういう形而上学的な存在に近い、清らかな存在なんだー。」とか能天気なことを思ったわけではない。

「この『不思議映像』が不思議であるということ、あるいは、不思議な現象を表現しているということを、その真偽はとりあえず置いておくとして、どのようにわれわれは理解しているのか」つまり、「なぜ不思議映像は不思議なのか」。もっと言うと、「この不思議映像が不思議なことなのだということをぼっちゃんに説明するのはどうすればいいのか」と考えると、ずいぶん長い道のりだなぁと、思わず絶句した次第である。

たとえば、空飛ぶ円盤が空に浮かんでいる。しかし、それはわれわれが知っているような飛行機やヘリコプターが羽根に生じる空気抵抗を利用して空を飛んでいるようには飛んではいない。ガンダムの世界ではミノフスキー粒子とかで説明できるかもしれないが、とにかく、自分たちが知っている科学的常識からすれば信じられない。そのあたりに不思議映像が不思議映像たる事情がある気がする。

しかし、こうした順路をたどるためには、前もってある程度の科学的常識をすでに知っておく必要があるのではないか。つまり、超常現象映像がつまらなくないためには、世の中のつまらなさを知らなければならないのではないか・・・。

とはいえ、わが身を振り返ってみると、かなり早い段階から「ムー」やその界隈をうろうろしていたので、そのあたりは個人差もあるのだろうが、ふと思いでだしたのは、カントが『純粋理性批判』第一版の序文冒頭で言ったことだ。

人間理性はその認識のある種類において特異な運命をもっている。それは、人間理性が、拒絶することは出来ないが、しかし解答することも出来ないいくつかの問いによって悩まされているという運命であって、拒絶できないということは、それらの問いが理性自身の本性によって人間的理性に課せられているからであり、解答できないというのは、それらの問いが人間的理性のあらゆる能力を超え出ているからである。

つまり人間はなんかよくわからんことを考えてしまって、でも、答えを出すことはできないくて、ウーンと唸り続けるしかないという運命にあるというわけだが、話を戻すと、ぼっちゃんにも超常現象に惹かれる時期が来るのかもしれない、ということだ。

ただ、暗闇が怖いとか、お化けが怖いとか、そういう霊的な範疇と、UFOやUMOとではかなり方向性が違う気もする。このあたりをすべて「超常現象」として一くくりにするのもすこし乱暴かもしれない。

ところで、うちも今日買ったところですよ。あのキャラクター満載の子供向け雑誌。ほんと表紙がドギツイなぁ・・・。ほとんどコンビニに置いてある「山口組抗争200日!」とか、そんなのと変わらないぐらいのドタバタ感。巻末にはナントカ式教育法とかいう親向けのページもあるしで、なんか欝になったわ。