木目より、タイルが大事と思いたい。

 そんなこんなで、あいかわらず家のことを考えざるを得ない日々なのですが、家関係の雑誌や本、HPを見ていると、あちこちに「子どものため臭」が漂っていて、いささかげんなりしています。家のほとんどは家族が住むという設定だから、もちろん子どものことも考えて建てたり作ったりすることが多いわけですが、だからといって、いわゆる「子どもに良い」と思われるものを、優先させすぎるのもどうなんでしょうか。さらにはお決まりの「この木や壁土を使わないとキレる子どもになりますよ」の類い。どんなにいいものでも、そういう「何かひとつに原因を求めた脅し」はイヤなもんです。
 私は今回のことで、自分自身が意外なほど「木の質感ってそんなに好きじゃなかった」ことを知ったのですが、これは「住宅世界」ではあんまりメジャーな好みではないみたいです。「木のぬくもり」や「無垢材の優しさ」は、むしろ殺し文句だし、それと「子どものため」っていうのが、よくセットになってます。「珪藻土の土」とかも。まぁつまり大半の「自然素材」が「お子さんのために」ってことで「良きもの」に位置づけられています。
 ほかに「良きもの」としてカウントされている条件で私がイヤなのは「家のどこにいても家族の気配が感じられる」っていうやつ。「自宅で仕事をしている」ということもあるのですが、そうまでして年がら年中「家族の気配」って感じていたいですか?小さいころ、押し入れとかに籠ってませんでした?子どもだって、ひとりで泣きたい時はある。過剰なぬくもりや気配のほうが、かえって冷たく感じることだってある。
 さらには、自分の趣味でもない方向で「子どものために」デザインや素材を決めて、その中で暮らすストレスってないのかな、とも思います。私はいくら「子どものために」って言われても、木目の中では暮らしたくないし、別の角度から言えば「あなたたちのために無垢材にしたのよ」っていうのは、子どもにとっては「善意の押し売り」とも言える。さらに角度を変えれば「そもそもこういう趣味をしている親だからこそ、と、それを選んで生まれて来たはずの子どもの気持ちを裏切っている」ということだって成り立つかもしれない。そしてなにより、大人が「子どもが喜ぶ」と思ってることを、子どもは必ずしも喜ばない。私はお子さまランチよりざるそばが好きでした。ケーキよりも、ワインゼリーが好きでした(生まれつきの飲み助なだけか)。
 「親というひとりの人間に、好きなものがある、大切にしている感覚がある」ということを、実際の生活を通して伝える方が、「あなたのために珪藻土にしたのよ。あたしはタイルの方が好きなのに」という電波を出しながら暮らすよりも大事なことなんじゃないかと思うわけです。わかりやすい「子どものための家」を作るよりも、まずは親自身がその家での暮らしを愛せるかどうか(だから『子どもがすべて!』って人は、全面子供仕様でもいいんですけど)が問われているんじゃないかと。
 ということで、世の趨勢からはすごーく逆行しているのかもしれないのですけど、住まいの件に関しては「子どもより、親が大事と思いたい。」派であると宣言して、家探しを進めていくことにします。