4歳になる君に

(11月1日PM11:20頃記す)

26日の記事の一行目、「ホチキスさんの記事」というところを見て、「関東ではホチキス、関西ではホッチキスと呼ぶ」というマメ知識を思いだした。うろ覚えなので関東と関西は逆かもしれない。

以前にも書いたが識字障害か学習障害かと自分で不安になるぐらいにカタカナに弱い。だから、その後もずっと「ホイッスル」が「ホッチキス」に見えて(なんていったて、文字数も5と同じだし、「ホ」と「ッ」と「ス」まで同じだ)、例えば「保育現場において、ホイッスル以上に『暴力的な教育用具』はない」という箇所が「保育現場において、ホッチキス以上に『暴力的な教育用具』はない」*1というふうに見えて、ははは、そりゃそうだろう、でも、もっとすごいのもあるかもよと夜中に一人でクスクス笑ってみたり・・・なんて実際にはしていないが、そういう風に書くとなんだかユーモアのある人間のように思ってくれるかもしれないので一応書いておく。

「ホイッスル」の音一つとっても、いろんな見方があるのだなぁと、前回エントリーのコメント欄を読んで思った。
ちなみにきわめてホッチキス個人的には、いま住んでいるところが小・中学校の近くなので、運動会シーズンにあの「ピー」という音が聞えると、特に運動会にいい思い出なんて何一つ無いのに、なんともノスタルジックな気分になって、たちまち運動場の砂埃の匂いが脳内に充満して、ひどくなるとテンションまで上がって脳内ipodエヴァンゲリオンヤシマ作戦のエピソードの時に流れるBGMを再生しだすのだが・・・って、そうか!これが訓育化された身体ということか!絶望した!ipod上着ごと洗濯してしまった自分に絶望した!

さよなら絶望先生(16) (講談社コミックス)

さよなら絶望先生(16) (講談社コミックス)

と、これまで書いてきた文章を読むと、なんて意味の無い文章だろう。サラリーマンになって身につけた能力。うちの奥さん曰く「意味の無い文章を意味も無く書き続ける能力」とはまさにこのことだ。

ちなみに(ぜんぜんちなんでいないが)「ホチキス」も「ホッチキス」も読み方としては正しいらしい。もっと厳密に言えば、例の細い針でバチンと紙を閉じる機械のJIS規格上の名称は「ステープラ」である。

でも、そんなことはどうでもよくて(だったら書かなければいい)、あと1時間もしないうちに4歳の誕生日を迎える君へ。もう「ぼっちゃん」なんて呼称はふさわしくないかもしれないと思うぐらいに成長した君へ。
いま僕は宇多田ヒカルの『Beautiful World』という曲を聴きながらこの文章を書いている。その歌詞のなかに「Beautiful Boy 自分の美しさ まだ知らないの」という箇所があって、この部分でいつも切なくなる。きっと、これから何年も、この問いかけを君に影でコソコソとしていくことになるのではないだろうか。
・・・って、この曲聴いたことないひとにはさっぱり意味不明な文章だが、まぁ、そんな感じだ。詳しいことはまた今度会ったときに話すよ。

最近、仕事が忙しくて週一の休みも無いこともザラで、なかなか話す暇もないけれど、こんどまたラーメンでも食べに行こう。

*1:そういえば「暴力的な教育道具」という言葉は「形容矛盾」なのだろうか。見方を変えれば、形容矛盾でもなんでもないという気もしないではない。かといって「訓育」だとか「規律」だとかいうフーコー的な用語を持ち出すのはあまりに野暮か。では、暴力でない教育ってどんなものなんだろう。よくわからない。