地蔵盆です

遅れての投稿です。どういうわけか今不動産がらみの件で忙殺されておりまして・・・という言い訳はともかく、事前に書いておいた記事のアップすら出来ずにいました。そして記事も中途半端なところで終わってしまっているのですが、ごめんなさい、とりあえず書くことのできたところまでアップいたします〜。

これを書いている今日の京都は、あちらこちらで「地蔵盆」が執り行われています。東京生まれ東京育ちの私が京都へやってきて初めて「ジゾウボン」を耳にした時はその漢字すら思いつかず、「何じゃそれは」と首をかしげたものでした。きっと近畿地区以外の方にとっては全くなじみのない風習ですよね。京都には町のあちらこちらにお地蔵さまが祀られておりまして、「地蔵盆」というのはそのお地蔵さんのお祭りになるのですが、地域的な行事の意味合いは「子どものためのお祭り」。お地蔵さんのいる地域ごとに、その地域に住んでいる子どもが集まって「わいわい」とする日なんですね。ジャグリングなどのイベント、昼食夕食会、水遊び、ビンゴゲーム等々・・・朝から晩まで盛りだくさんの「楽しいこと」がつまった一日になります。とにかくこうして地蔵盆というのは、地域のおとなたちが地域の子どもたちのために楽しいお祭りを用意してあげるということ。ですから大人たちはその準備がタイヘンなのですが(役をしていない私も、カレーを炊いたりなんだりとあります)、それでも地域の方々と交流を深めるよい機会でもあり、また地域の子どもたちのことを知る機会でもあるわけです。ですからこうした風習が今でも大切に守られているのは、有り難いなぁと思います。

とはいえ、地蔵盆も立派な宗教的お祭り。朝からお坊さんがこられてお経を唱え、その傍らで大きな数珠をみんなでまわしていく「数珠まわし」もスケジュールに組み込まれています。クリスチャン家族としてはそのような宗教的行為?にはあえて積極的に参加しないのですが、今朝は届けものもあった都合で「ちょっと見に行ってみようか」と子どもを連れて行ってきました。そして自宅へ帰ってきてこ初々さんが言ったこと。それは「お祭りしてたよ!」・・・別に「お祭りがあるよ」なんて一言も言っていません。「今日は地蔵盆だよ〜」ということは伝えてありましたが、それが何を意味するのかはもちろんあまり分かっていない。しかし数珠まわしを見て、きっとその宗教的な光景が彼女の中の「お祭り」光景を喚起したのでしょう。ヒコくんが「K福J現党」に最も敏感に反応するというお話をとても興味深く読ませて頂いたのですが、きっと子どもって大人よりもずっと「宗教的なる空気」に対するセンシティビティは高いのでしょうねぇ。