光を放つ。

supply72009-08-14

ここはお墓です。
長崎では、お盆にお墓で花火をします。楽しいです。
私が長崎を離れて進学し、いちばんカルチャーショックを受けたのは「お墓で花火をする」と言うと、みんなから驚きを通り越した非難の声が上がったことかもしれません。
とにかく長崎では、お盆にお墓で花火をします。子どもたちは、親戚のおじちゃんおばちゃんから「花火代」をもらいます。お年玉のお盆バージョンみたいなものです。
ここは、母方の祖母の家の墓。ばあちゃんは5人兄弟の次女で、姉が一人、妹が一人、弟が二人います。一番上が90近く、一番下も70歳を超えているのですが、なんとか元気に全員揃ってます。奇跡のフルハウスです。ミラクルファイブです。
それはさておき、しかし、彼らは5人兄弟ですが、それぞれの子どもはそうもいかず、せいぜい一人か二人。さらに、元は「花火代」をもらっていたはずの子どもたちも、すっかり中年になりつつあります。孫もいないわけじゃないのですが、おなじ時間にお墓に来るということもなかなか難しいので、今年はついに「花火代対象者」がヒコ一人という事態になってしまいました(大人は7人。うち、70歳以上4人。最年少は私)。といっても寂しいわけじゃなくて、近況報告したりお酒飲んだり豚まん食べたりして、楽しく賑やかに過ごしたのですが、その空間におけるヒコの存在感の圧倒的な輝きには驚きました。
ほんとに、光ってるんです。
花火をしてるからってだけじゃなくて、ピッカピカなんです。
子どもって、こんなにピカピカなものなんだ、とあらためてわかりました。
大人たちがどんなに年老いていても、多少具合の悪いところがあっても、楽しそうに花火をするヒコを見る瞬間だけは、幸せになれる。
子どもは、いるだけでいい。生まれてきて、生きてるだけでいい。
お墓という空間だからなおさら輝きが増すのかもしれません。
長崎はこうやってお盆のお墓でダラダラ過ごすので、お墓でだけ顔を合わせる親戚や知人も多くて、つまりは子どもが生まれたり成長したりする様子を、お墓でお互いに定点観測する光景がよく見られるのですが、他の家の子どもや赤ちゃんも、もちろんピカピカでした。
狭い町の中を、たくさんの人々があっちの墓、こっちの墓(直系の自分ちの墓だけじゃなくて、親戚の墓にも参り合います)と右往左往するので、お盆の間は大渋滞。とどめに15日の夕方からは世界的に見てもクレイジーであろう死者の祭り「精霊流し」で、メインストリートはことごとくストップします(F1のモナコグランプリを想像してもらえると近いかも)。
そんな「死者中心」の3日間にあって際立つ、子どもたちのピカピカでした。