手袋を探す。

 …というようなタイトルの、向田邦子さんのエッセイがありました。自分の理想の手袋を探すのだが、なかなか見つからなくて、そのうちどんどん意固地になって、結局は寒いのに手袋をせずに過ごすんだったかなんだったか、とにかく「手袋を探す」ということが「若い自分のありかたを探す」ことに、だんだんスライドしてくる、というような展開だったと思います。
 …というような高尚な話ではなく、今週は本当に手袋を探していました。今日、ヒコの保育園で開催される「芋の苗植え」のお知らせに、「子供用軍手」と書いてあったもんだから、さぁ大変。簡単にあるだろうと思っていたら、全然ないんです。いつものスーパー、ホームセンター、子ども用品専門店などなど、文字通りかけずり回りました。でもないんです。そしてついに昨日の夕方、白旗を揚げて保育園に電話しました。「どこに売ってあるんでしょうか…」「百円ショップにはありますけど〜」ハラヒレハレホレ〜そうか〜。ということで、百円の手袋を買いに、百円パーキングに車を駐めて行って参りました。見つけた時にはあまりに嬉しくて、百円ショップの片隅で「やったー!」と声をあげてしまいました。
 …ということで、何かの折、子供用軍手が必要な方、百円ショップにございます。

さて。

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

 今、寝床で読んでいる本。「しょうぼうしゃ」「しょうぼうしさんしゅつどう」「はたらくくるま」などを読みながら眠ることが多いので、週に1、2度しかたどり着きませんが…。でも面白いです。そしてなぜか、思いもかけず、子育てに関するヒントをいただきました。

 「子どもが私の言うことを聞いてくれない」のは、そこに何か「私の行動や自由を損なおうとする気持ちがあるからだ」と、つらい時ほど思ってしまったりしますが、…まーつまりは、「そんなことして、どんだけ困らせたいのっ!!!???」ってことですが、それってたぶん、こういうことだと思います。子どもが小さければ小さいほど。

人間は、…(中略)…さまざまな錯覚をする。この世にある事物に対して、その実際のありようとは違った感じ方をしてしまうのである。


私たちは、本当は無関係なことがらの多くに因果関係を付与しがちである。


ヒトの思考が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。さらに、私たちの脳は、比例で変化する現象は比較的うまく扱えるが、対数的に増えていくもの、振動しているもの、変化しながら動くものをうまく捉えることが苦手なようにできている。


世界は私たちの気がつかない部分で、依然として驚きと美しさに満ちている。


 この本のこの部分を「子育てにおける戒め」として読むのも、まさしく強引な「関係」づけな気もしますが、「この世」とか「世界」を、つい「子ども」に読み替えてしまった時、なんだか、ポンポン、と福岡先生に肩を叩かれた気がしたんです。「それ、妄想ですよ」って。