キャラ弁への道

5月の末に一年生初めての遠足。井の頭動物公園へお弁当もって遠足にいったコジポン(小1)ここぞとばかりに張り切って作ったお弁当がこれ↑です。

ついに私、キャラ弁の世界に足を踏み入れてしまいました。と言っても、ポケモンセンター東京で買った「型抜きポケモン海苔」を貼っただけなんですが…
左から「ヒコザル」「ピカチュウ」「ポッチャマ」写真では見えないけれど、裏面にも「ナエトル」と「モンスターボール」が隠れています。そんでもって、お弁当箱や水筒等は、全てポケモンで揃えちゃってたりしてるんです。


今日は、お弁当の自慢がしたかった訳ではなく(自慢もしたかったんだけどね。)キャラクターに対する私の気持ちを書こうと思います。


私が小さかった頃から、うちの両親は「こだわり派」でしたので、質実剛健、いまどきで言うならば「ロハスな暮らし」をしていました。

まず、テレビがない。
食べ物は無農薬(低農薬)、無着色、無添加にこだわり、共同運営の農場から毎週、野菜や卵、肉を取り、味噌やマヨネーズは自家製。手作りできるものは出来るだけ手作りで。
もちろん、ジャンクなスナック菓子や色つきのキャンディ、缶飲料なんかも食べさせてもらえません。
衣類も木綿、ウールの自然素材、化繊はNG、基本はお下がりですので、流行に流されず、長く着れるないベーシックな物を。
環境ホルモン、化学物質を出来るだけ排除するために、プラスチックの食器は使わず、子供の食器も陶器かホーロー。
洗濯、食器洗剤も粉石鹸にせっけん洗剤を使用。
基本的に外食はしないし、外食してもファミレスやファーストフードにはいかない。
プレゼントも子供の欲しがるを与えるのではなく、親が良いと思った物が贈られるので、大抵が本や自転車等、流行の玩具のようなその場の欲求を満たすような物はお目にかかりませんし、そもそもおもちゃ屋さんに行くこともない。

あげたらきりがないけれど、そんな暮らしでした。

いまでこそ、そんな考えも浸透してきたけれど…30年も前から高い意識を持って生活、子育てしていた両親を尊敬し、感謝していますが、当時はよその子が羨ましかったものです。
この前のトンビさんの記事、初々さんのコメントを読んで、「これって私だ!」と思ったものです。
ただ、うちの場合は宗教的な感じではなかったように思います。家族、子供の事を思って夫婦2人で勉強し、良い物を追求したらそこに行き着いたというか…鼻息荒く世間に自慢したりはしてなかったと思います。
確かに親の考えを押しつけられていた事に違いはないのでしょうが…幼いうちは外を知らないからその生活が当然として受け入れていたし、友達ができて外の世界を知ってからは、「家は兄弟も多いし、貧乏だからワガママを聞いてはくれないし、好きな物も買ってくれない、外食も出来ないし、庭で野菜を作ったり、お味噌を手作りしたりするんだ」などと思っていました(無農薬やら自然食品は割高だし、ある意味でお金のかかった贅沢な暮らしですね)。
遊びに行った友達の家で「コーラ」に衝撃を受けたり、スナック菓子の化学調味料のパンチのある旨味に驚いたり、親には内緒でいろいろ楽しんだものです。
まあ、子供が4人もいれば、親もそうそう目が行き届くわけもなく、みんなお小遣いをもらうようになってからは、兄弟揃って「ジャンクフード大好き!」の時代に突入していく訳です。


でも、自分で家庭を持って、子育てするとなると、やっぱり食べ物はできるだけ無添加の国産の物を、肌に触れる衣類は木綿の物を選ぶようになりますね。
ただ、私は両親のように真面目じゃなく、徹底して突き進む強さもなく、あまりこだわりのない、ゆるーい親です。両親から学んだ「ロハスな暮らし」は根底にありますが、そうじゃないところの楽しみも味わいたいから、「コーラ大好き」な夫と、あまりこだわらない生活をしているというわけです。

そんでもって、キャラ弁にどう繋がるかというと

私自身は、キャラクター商品なぞとは無縁の幼少時代を過ごし、お弁当箱は銀色のアルミ製、水筒はラーケンのステンレスボトル(今でこそ大流行してますが…)、保育園で使うコップはホーローのものでした。
友達が可愛らしいピンクの絵柄のついたプラスチック製のお弁当箱や水筒を持ってくるのが羨ましかったものです。

ただ、実際のところ私はキャラクターものはあまり好きでなかったらしく、サンリオの白猫ちゃんが大ブームの時なぞは友人達を冷ややかに見ていたものでした。子供が産まれても、キャラクター物やヒーロー物を与える事なんて想像もつかなかったのですが…
生後数ヶ月のコジポンがアンパンマンへ興味を持ちだした頃から、私のタガははずれて、蓄積された鬱憤が流れ出してしまったようです。アンパンマンにはじまりトーマスに戦隊ヒーロー、仮面ライダーウルトラマンポケモンドラえもん、怪獣に恐竜、ありとあらゆるキャラ達が我が家に溢れる事になりました。

さすがに欲しがる物を欲しいだけ与える事はしませんが、例えば、大きめなお弁当箱が必要となった時、どうせ買うならコジポンの好きなポケモンで揃えよう、必要な物を買うのだから無意味に与えるのとは訳が違うと、自分を正当化しながら、コジポンが欲しがるというよりも、私の方が先回りしてそうしているような気さえします。

欲しかった物を与えてもらえなかった寂しさを知っているだけに、コジポンにそういう寂しい思いをさせたくないという想いや、嫌らしい話ですが、正直にいうと、自分がついぞ味わうことのなかった「素敵な持ち物への友達からの羨望の眼差し」をコジポンに与えたい。いや、コジポンを介して私が味わいたいだけかもしれないのですが、そういう屈折した気持ちが確かにあるんです。
持ち物でその人間が評価されるわけでもなく、むしろ持ち物を自慢するような奴の方が中身が薄っぺらだってこともわかってはいるし、自分の中にそういう卑しい気持ちがあるのも嫌なんだけれど、わかっちゃいるけど止められない。

そんな私の気持ちの行き着いた先が「キャラ弁」だったんです。
1番にはコジポンの喜ぶ顔が見たいからなんですが、私の多大なる自己満足ともいえます。
両親があまりにも「こだわり派」だと、逆方向に反発した気持ちが屈折してこんなふうに現れるものなんですね。