いいものだけの人生なんて。

 カナさん、どうぞゆっくり。norrikkoさんのコメントの「忘れ物」に、ジンとしました。そういうことって、きっとあると思います。

 今朝、妹と息子・大仏くんが、沖縄へ帰っていきました。大仏くんは、この2週間で顔も仕草もどんどん変わりました。うちにも2回遊びに来たけれど、残念ながら「部屋をウロウロする猫」が苦手だったようで、1ミリでも視界に入ってしまうと大泣き。うちでまったりしゃべろうかと思っていた妹と私のもくろみは叶いませんでした。

 それにしても、静かな大仏くん。じーっとお座りしてたり、ベビーカーに1時間以上乗ってくれていたり、ひとりでゴローンと転がって、いつの間にか眠っていたりと、私もダンナも体験したことのない静けさ。もちろんお腹が減ったら泣くし、いろいろ大変なこともあるけれど、あの、ヒコの「一時たりともこちらのペースで呼吸ができない」感じからすると、正直なところ、ちょっとショックさえ受けました。子どもって、ほんと、ひとりひとり違うんだな…。

 ぜんぜん話は違うんですけど、こないだダンナ(ニュースのカメラマン)が、「ナチュラル暮らし」をしている人たちの取材に行ったら、それはそれは鼻息荒く、子どもに「テレビは見せない」だの、「ジャンクフードは食べさせない」だの、自慢していたそうだ。でもなぁ、なんだかなぁ、それってまた別の「害」なんじゃないかなぁ。そこの子が、よそんちに行ったときや、友だちと学校帰りに買い食いするときの罪悪感やつまらなさは、どうなるんだろう。「原則」としてテレビを見ないのも、ジャンクフードを食べないのも、それは結構な話だろうけど、それが「原理&絶対」になっちゃうと、損なわれるものも増えるだろうに。
 親はあくまで「ベース」を整えればいいんじゃないかと思う。時々出て行っては、よその飯を食うのもよかろう。だっておいしかったじゃない?舌が真っ赤になる粉ジュース。でも、それだけ食べてたわけじゃないじゃない?それを食べる時間が楽しかったんじゃない?友だちと舌を見せあって大笑いした夜は、また家に帰ってお母さんのごはんを食べたじゃない?そんな楽しみを奪う権利なんて、親にはないはずだ。

 時々、ヒコと一緒に、たこ焼きとビールとジュースを買って公園に行って、ベンチで足をプラプラさせながら食べていると、明らかに「そんなもの食べさせて!」という顔をしていく人がいる。でも、私たちにとっては、最高に幸せな時間。このたこ焼きによって体に入る「よろしくないもの」よりも、はるかにたくさんの脳内幸福物質が、身体をかけめぐっている。「いいもの」は、もちろん求めていきたい。でも、「いいものだけ」の人生は、私としては、ノーサンキュー。百回飲むうち一回もゲロを吐かない酒飲みを、酒飲みとは呼びたくないように。