ただしノン・アルコール

ようやく小学校の入学申し込みが終わりました! ただ用紙を出すだけだと思ったら、校長先生が出てきてびっくり。♪アッコちゃんドキドキ、用もないのに、校長先生が〜 のリフレインが響くなか、しどろもどろで面談。ちなみに小学校は、ディエゴのお兄ちゃんのお兄ちゃんが通う、家から徒歩4分の公立校。彼の話によると、英語の授業があるばかりか、数学と理科と歴史(だったかな)は英語で授業が行われるそう。他もだいたいそうらしい。そのため親たちは、「子どもの宿題がわからん」と嘆いてます。合格者リスト発表は、再来週。
なお居住許可は、期限切れになって約3ヶ月経った昨日の時点で、移民オフィスに2時間並んで得た回答が「進展なし」。そっすか。外国人は帰れってことですな。景気もずいぶん悪くなったし。どうやら失業率は20%に達する見込み。


さて先週日曜は、こちらでは母の日でした。でもツレが思いのほかにダウンしてしまった(豚インフルエンザじゃないと思う)ので、なにもなし。そういや小学生のとき、諫早駅前のビルで売ってた造花のカーネーション(350円)を母の日に贈ったら、「あんたまたそがん商業主義に乗せられて」と言われたな。でもたぶん母はその前に「ありがとう」とか言っていて、いまでもそっちの言葉を覚えていたりするのだろう。そして私の方ときたらそこんとこはきれいに吹っ飛んで、あるいは別の日の記憶と合成して、「哀しみ」だけを覚えている。たぶん、親子なんてだいたいそんなもんなんだろう。なんだか逆恨みされっぱなしの今日このごろ。

なんせ、面と向かっての反抗期は、まあ疲れます。ニーニャの得意技は直立不動でぶぎゃーと大泣きすること。遠目にもはっきり喉ちんこが見えます。昨日は保育園への往路・復路でそれぞれ発現。一昨日の復路も含めると3連発。案件は、以前のケーススタディにもあった「抱っこして」。泣くのを放っといたら、3回とも、テポドンみたいに勢いよく吐いた。しかも昨日の朝は、通りすがりに「あらあら泣かないで」とニーニャを慰めてくれておた優しいおばさんの手のひらに2段階噴射。うおーっ!!!

おばさんに何度も謝りながら、日本が誇る消費者金融配布無料ティッシュとウェットティッシュを山ほど渡して手を拭ってもらう。「抱っこするからおいで」とニーニャを呼び、2、3歩でも向こうから歩き出したところで抱き上げる(旧担任ベレンの教え)。抱っこして思わず「なんで?」と詰問しそうになり、ああこれは「質問の体をした叱責であり、権力者の語法である」と気づいて慌てて引っ込める。「『抱っこして』、っていうのはわかるよ。でもあーいう泣き方して、どうなった? おばさんきっと悲しいよ? ママも悲しいよ。ニーニャは? 悲しいでしょ? みんな悲しいんだよ。みんなが悲しいの。だから、あーいう泣き方はもうしないで。ね?」 果たして、説得力あるか? まったく自信がない。
いままで、生きてりゃそれでいいと思って、わりとなんでもどーでもよかったのだけど、やっぱりこうして人間めいたことも教えなければならんのでしょうか。んでも、通りすがりのおばさんにゲロ吐き続けるっつのも、ちょっとねえ。私に吐かれる分は、なんぼでもいいんだけど。

たしか吉本隆明が言っていた。子どもととことんつきあう、それしかない。もし子どもが刑務所に入ることがあったら、なぜかと問うたり想像したりする前に、「じゃあ、俺も入るよ」と、ともかく自分も刑務所に入る(違ったかな)。導くなんて、だいそれたことはできない。私もそんなかんじ。これが反抗期というのなら、思いっきり目の前の私に反抗して、どうぞ力いっぱい逆恨みして憎んで、ゲロでもテポドンでも打ち込んでおくれよ。…なんて言えるのは今朝の銀行の窓口のおじさんが親切できもちが楽になったからで、昨日の夕方はさすがにひとり台所でビールの缶を開けました。ただしノン・アルコールなのが、我ながら偉い!