デフォルトとしての不在 The absence of mind

仕事に行きだして2週間。おそらくこの10年間で喋った量よりも多くのことを喋ったと思う。2週間のうちに地元のラジオ局で3回も話すなんて異常だ。おかげで昨日から喉の調子も悪いし、口内炎ができた。
のどの方は職場の空気が乾燥しているからとか、そういう理由で片が付くが、口内炎のほうは、たぶん口を動かしすぎて、口の中が擦れたのだろう。走りすぎて足にマメができるのと一緒で、たいしたことではない。

そういうわけで、「妻に子どもを押し付けて、いつも家にいない」ナイスなお父さん的武勇伝をこれからスラスラ書いていこうと決意した矢先、妻からショッキングな言葉を吐きつけられた。

「あのさ・・・ホッチキスって仕事に行きだしてから家事を全体の流れとして見れるようになったよね?どういうこと?」

クリリンのことかーーっ!」

・・・じゃなくて、

ホ「ど、どういうこと!?」
ホ妻「いや、なんとなく・・・」
と、大して話はもりあがらずに、話題は池波正太郎の小説の中に出てきた料理のことになってそのままグダグダになってしまった。

仕事から帰ってきてスーツを脱ぎ、トランクスとランニングのみになってビール瓶を傾ける・・・なんてことは実はものすごく夢というか妄想レベルの話で、実際はネクタイをすこし緩めたその手で洗い物をして、洗濯の続きをして、妻がやりかけ*1の夕飯準備の続きをして、お風呂の準備をして・・・って、それって今までとぜんぜん変わってないじゃん!

にもかかかわらず、こういったことが妻の目に「全体の流れを見てやっている」ようにうつったのは何故だろう?
たぶんこうだろう、というような理由が思い当たらないでもない。というか、それについてはほぼ確信に近いものがある。しかしそれについて話し出すと長くなるしカドが立ちそうなので、それのことについてはここでは触れない。

それにしても、ほんとうに子どもたちと接するのが起きてから出勤するまでの2時間弱と、夕飯から彼らが寝るまでのわずかな時間になってしまった。もちろん、長ければいいというわけでもないし、短ければ悪いというわけでもない。数値なんてそんなものだ。

しかし、こういう状態になると考えてしまうのは「引退」ということである。もちろん、「子育て」に引退はない。それは事実上の問題である。しかし、「子育てについて語ること」については、ちょっとそんなことを考えてしまう。
もちろん「子育てについて語ることに意味がない」と言いたいのではなく、「自分に子育てについて語る資格があるのか」というあたりが自分には気になっている、と言いたいのである。上に書いた事実上の問題に対して、こちらは権利上の問題である。
というか、今の自分の状況はそもそも「子育て」なのだろうか?むしろ子どもにこっちが育てられている「子育てられ」な気がする。もちろん両者はセットだという意見もよく分かるが、よく分からないこともある。

しかし、偉そうなことばっかり言う年寄りが「引退」だと「もうダメだ」とか「先は長くない」かそんなこというくせに、そういうことを言っている奴に限っていつまでも現場に口を出し続けていることがしばしばある。先は長くないと言うなら早く死ねば良いのに、と彼らを見ながら思っていた。
だから、やってるうちから「引退」なんてことを口にする奴は信用しないほうがいい。「○○の最後の事件」というタイトルのエピソードがいくつもある探偵物のシリーズがつまらないのもおそらく同じような理屈からだろう。
消える奴が消える時は、本当に何も無かったように、何事もなく消えていく。

*1:誤解のないように書いておくが、彼女は炊事を途中で放り出したのではなく、ウニャ子のミルク・リクエストに答える為に台所を離れたのだ。