桃源郷を爆破せよ。

 ついに制服での通園が始まったヒコ。今はまだ二人羽織状態にガポガポですが、これがまた、いわゆる「あっという間」に大きくなるんでしょう…か?わからんです。ここまでも長かったし。
 これまでの3年ちょっとを振り返ったり、最近の書き込みなど見ていると、やっぱり「母子二人きり」っていうのは、一見、理想郷みたいな響きを持ってますけど、非常に危ない状態であると思われます。でも、私にしても、初々さんにしても、がばちょさんにしても、その他大勢の「母子二人が日常」の人たちは、そうするしかないし、なんだかんだと言っても、乗り切って行かなくてはいかんわけですね。どうすりゃいいんだ。パッとした特効薬は思いつきませんが、世の中に蔓延している「母子二人桃源郷幻想」だけは、とりあえず、とっとと片付けた方がいいんじゃないか。「三歳までは母親が」とか「マジ、お前やってみろよ」ってことで。もし私がそれを強制されていたとしたら、大げさな話ではなく、発狂してたかもしれません。
 たしかに、母子にしかない、かけがえのない甘やかなひとときがあるのは間違いないけれど、それは決して四六時中ではない。かけがえのないひとときは、母親にとっても子どもにとっても必要だけれど、愛する二人が一日中チューしていられるわけではないように、やはり、二人の人間が、たとえ母と幼子であったにせよ、曇りのない笑顔に包まれたまま時を重ね続けるというのは、かなり無理な話です。
 じゃぁ父子は。
 父子はしかし、ホッチキスさんのエントリーでもあったように、そこには「俺、逆立ちしても母ちゃんじゃないし」という、どうしようもない諦念の溝が横たわっていて、でも、それが救いなんだと思います。母親は、ヘタに産んでしまっているから、最終的にはすべてを背負わなければと思いがちだし、背負えると勘違いしてしまうし、母がすべてを背負っている状態がむしろ理想像みたいに思われがちで、ほんと、困ったもんじゃ。そんなことしなくったって、どうやったって、圧倒的にどうしようもなく母親は母親なのだから、いいじゃん、無理してくっつけなくても。

 でも、父子は寝相シンクロする。

 
 (ちょいと用事があるので、しばし中断。またあとで書きます。アデュー。)


 遅出のダンナとラーメン食べてきました。

(参考映像。長崎市大黒町「長浜一番」ラーメン/ネギ多め)

 こないだは、そのラーメン屋さんに父子二人で行き、その時どうやらサイダーを飲ませてもらえなかったらしく(ちょっと前にジュースを飲んでたから)、泣きわめきながら帰ったそうで、おばさんから「あのあと、大丈夫だった?」って声をかけられました。私がぜんぜん知らないヒコ、他の人に気にかけてもらえたヒコが、こうしていろんなところで増えていくのはうれしいものです。

 で、なに書いてたんだっけ…。

 あ、そうそう、それで、ラーメン食べたあと、お財布に千円しかなかったのでお金をおろしてたんですけど、その時に思ったのが、「やったこともないのに頭で考えて良さそうだなと思ったことを人に押し付けるのは罪だ」ということです。オッサンたちが「3歳までは母親と」なんていうのはこのタイプ。あと「『自分はもっとこうしたかった』と思うことを、人に『こうするべきだ』と押し付ける」のも。母乳とかおむつとか食べ物関係はこのタイプでしょうか。どっちも、言う方にとっては「よかれ」ということなのですが、ポイントは「その人が実際にやったわけじゃない、もしくは、やろうとしてもやれなかった」ってこと。もちろん「こうできればいいよね。私はちょっと挫折しちゃったけど。てへ。」という軽いアドバイス的なものならばいいんでしょうけど、自分がやろうとしてやれなかったことを「やるべきだ」なんて言うのは、そりゃ犯罪ですばい。いま一度「地獄への道は善意で敷き詰められている。」という言葉をかみしめます。

 ところで、新しい組になって、同じ組のお友達は変わらないんだけど、ひとつ上の組の子とお部屋が一緒になって、先生も変わったからなのか、なんとはなしに、ヒコの調子が不安定。いい悪いじゃなくて、環境の変化へのグラグラが伝わってきます。小さい人たちも、がんばってるんだな…。

 育児に疲れたお母さんたちに、今日はささやかなおまけ。「なぜか二日続けて新聞のチラシと広告に登場した東海林のり子さん」です。いいことあるといいですね。
 それでは良い終末を。明日は歓迎遠足だ〜。