前にも書いたように、いま、ぼっちゃんのなかで「アンパンマン」が熱い。僕らが住んでいる地域でのアンパンマン(面倒なので以下APMと略す)放映時間は土曜日のなんと朝5時半。朝の5時半て、あーた・・・。僕らが子どもの頃は4時から6時ごろは子ども番組の時間帯で、再放送のヤッターマンシリーズはもちろん、トムとジェリー、またまたガンダムの再放送・・・とにかくこの時間帯はテレビの前から離れられなかった。
ところが今は各放送局の地域密着ワイドショーみたいな番組が4時ごろから延々と続き、再放送アニメ文化は消えてしまったかのようだ。

それはともかくAPMである。できればそういうまともな時間帯にやってほしい。

APMといえば、八百万の神とも百鬼夜行とも形容できるような壮大なキャラクターたちの神話(サーガ)はまさに圧巻だ。うちにも常備してある『APM大図鑑2000』を紐解けば誰もがそのことを納得せざるをえない。

ところでぼっちゃんが今、一番気になっているキャラクターはロールパンナである。ロールパンナメロンパンナのお姉ちゃんである。しかし、もとはといえばメロンパンナの「お姉ちゃんが欲しい」というリクエストにジャムおじさんが応えて生み出したのがロールパンナなのである。つまり、生まれたのはメロンパンナのより後だが、ロールパンナメロンパンナのお姉ちゃんなのである。

ロールパンナが他のキャラクターと一番異なっている点は「悪の心と善の心」の2つを持っていることだ。なぜそうなったかというと、作られる過程で、生地にバイキンマンがバイキン汁を混ぜたのである。このことによって、ロールパンナは「悪の心」と「善の心」との葛藤を生きることになった。

僕はこの設定を読んでまずこういうふうに思った。

つーか、焼直せばいいんじゃね?

でも、そう思った次の瞬間、きっとやなせたかし先生ならきっとこう答えるだろうな、と思った。推測だけど。

あなたは子どもに良いところだけでなく悪いところがあるからといって、その存在を無かったことにするのですか?

ロールパンナの存在はアンパンマン神話体系にたとえ様もない深みを与えているように僕には思える。アンパンマンやその他の仲間は善と悪との狭間で苦しみことはないのではないだろうか。もちろん、どちらが正しいとか間違っているとか、そういう問題じゃない。ただ、もし彼女の存在がなかったら、この神話体系はそれほど豊かなものとしては僕の目には映らなかったのではいだろうか。

・・・と、前置きが長くなったが、この4月から働きに出ることになった。いわゆるアカデミック・ポストではない。当初は警備員すなわちザ・ガードマンの予定だったが、流れ流れて観光協会で事務や雑用をする仕事を得た。土日祝日はもちろん出勤。週休二日ではないが、それが何か?今日も、途中ラジオ出演という意味もないハプニングを挟みつつも、明細書の山と格闘してきたばかりだ。
それでも今住んでいる町で職を得ることが出来たのは不幸中の幸いだった。本当に仕事のない場合は、僕だけ福岡の実家に住み込んで港の仕事でもしようと思っていたところだ。
正直、まぁ確かにそれはあまり現実的な選択とはいえないかもしれないが、子どものそばにいることだけが親であることの証しではないよな、と思っていたことは確かだ。僕の父親がそうだったように、家族から離れることになろうとも働かなければならない時もあるのだ、とそのときは思っていた。というか、いまでもその考えが間違っているとは思っていない。今回はほんとうに誤解と偶然の出会いによって近場に職場を得ることが出来た。このことは何度強調してもいいだろうが、ほんとうに運が良かったのだ。僕の能力や才能といったものは一切関係ない。

そういうわけで(どういうわけで?)うちの奥さんにはこれからしばらくのあいだ、平日は母子二人(母・ウニャ子)そして土日は三人(母・ぼっちゃん・ウニャ子)の生活を任せることになる。

こう書くと、なんか、世に言う「お父さん」な感じだな・・・。これは進歩なのだろうか退化なのだろうか?多分両方だ。いっそ「お父さんプレイ」なんてものをやってみようかと考えている。その内容は、

  1. 朝と夕方・夜しか子どもと接しない
  2. 帰ってきたら「俺は仕事で疲れてるんだよ〜」オーラを発して寝転がってテレビ
  3. とりあえず帰ってきたらパジャマに着替える
  4. 「子どもは母親と一緒にいるのが一番じゃい」とドカベンの岩城風に言い切る
  5. 「明日仕事だからもう寝るわ」と言い残して自分だけ寝る
  6. 家事を全体の流れとして見るのをやめる

まだまだいくつかリストアップできるのだけれどあまりにステレオタイプすぎてキーボード打つのも馬鹿らしくなってきた。くだらん。