♪まーわるーまーわるーよー

supply72009-03-25

先週は木曜から日曜までプエンテ(飛び石連休、スペインでは学校は当然休み)で4連投。会社は休みじゃないから金曜と土曜は私だけが登板。抑えはいないので完投条件。こうして迎えた最終日の日曜。野球なら連戦の疲れで肉離れというところ、子育てでの連投は「心離れ」を起こしてしまった模様。

前日土曜午後の「NO! これでいい!!(うん○したオムツを替えるの拒否)」、「NO---!! これでいい!!!(スカート拒否。ズボンも拒否、なにも履かずに出かけると言い張る)」が続いた翌朝、ふつうに着替えさせようとしてまた「NO!」と言われた瞬間、限界を超えたらしい。そのまま台所に駆け込み、しゃがんで、声を殺して泣いた。ああ、なんか、久しぶり……。

こういう種類の涙は知らなかったわ。なんて言ってみたくなったね。ニーニャが悪いんじゃない、ツレだって彼なりに(←という一言、ごめんねパパたち)精一杯やっている。もちろん私だって。ここには「悪者」がいない。みんな一生懸命やっていて、それでもなにかにぶちあたる。ケツをどこかにもっていけない、しんどさ。涙さしぐんじゃいますよ、さめざめ。
(余談だけど、だから、「子どもは天使のように可愛い」し「夫もよくやってくれている」、でもなぜか行き詰る、のは「自分が至らないから」では決してないですよー、ママちゃんたち! オットが優しいようにあーたも優しいし頑張ってるよ!)

ツレはようやく最近、こういう私の涙を見ても「俺を責めてるのか」とは受け取らず、また「じゃあいったいどうしろっちゅうんだよ!」ともキレなくなった。もう、これをもって「夫の理解」と言いたいくらい。それまでは泣くたびに二重にしんどかった。私と同じく親業2年4ヶ月のツレ、この日は「お疲れさん」とうずくまる私の肩を叩き(ニーニャまで来てポンポン叩いて「だいじょーぶー?」と労わってくれた)、みんなでロープウェーに乗るという腰砕けのプランを考え、そして彼なりに(←余計な一言)さくさく準備してくれた。

家を出るまではニーニャと目が合ってもなかなかうまく笑えなかったけど、何年かぶりにロープウェーなんかに乗って、そこから王宮だのゴヤ霊廟だの視界いっぱいに広がる緑の公園だの少し先から嬌声を響かせるジェットコースターだのを見ているうち、気づけばしこりはサーッと消えていた。着いたところではもう笑顔でビールを飲み、ニーニャとフライドポテトを取り合い、彼女をべたべた撫でまわして遊んだ。

以前、ママ先輩から「なんがあっても、振り返れば笑える。それが子育て」と言われた、それはまったく本当だ。いまの状況に足を絡め取られて絶望的なきもちになっていても、それとは無関係に進んでいる時間が、やがて、それもわりとかなりすぐに、すべてを過去のことにしてくれる。ニーニャが生後半年くらいのとき、気づけば赤子を胸に号泣しながら中島みゆき『時代』を絶唱していたことも、振り返れば大爆笑。ええ、すぐに笑えますとも。しかしあの時あの唄を選んだのはやっぱり、こういうときも地球は周っているということを感じたかったのかな。

しかしねえ。彼女がこうして「着る!」と納得してくれた服だけを選んだら、ほら、謎のフラワーチルドレンか怪しい教祖になっちゃってるんですけど……。