ケース1

こんばんは、初々です。
唐突なのですが、木曜日のこの枠で「子育てのケーススタディ」をさせて頂くことにしました(ご了承を得ずに勝手にすすめてしまってすみません・・・自分のブログで始める予定でいましたが、カナさんからご提案頂きまして、この枠をお借りする事にしました)。子育てという「がっつり、みっちり」な人間関係の中で、時として振り回され、あるいは感情を巻き込まれ、「本当は子どもにこんなこと、言いたくなかった、 したくなかった・・・」と自己嫌悪に陥るような行動をとってしまうこと、みなさんにはあるでしょうか?「みんな多かれ少なかれそういうものだ」とは思いませんが、少なくとも私に限って言えば、日々「そういうことだらけ」です。それでもやはり「未熟な私が子育てしているのだから、仕方ない」と諦めていては、目の前の子 どもに「とことん大事にされるという経験をつんでもらう」という何よりも大切な贈り物をしてやることができなくなる可能性があります。そこで、「こういう状況が大変だった」「このときほとんど修羅場だった」あるいはその逆で「こうしたら(いつもは大変なのに)意外なことにスムーズにいった」というようなケースを振り 返って検討し、「このような振る舞いをしてみたらどうだっただろう?」「この状況は何によってひきおこされたのだろう?」というような意見を交換し、「状況に流されることなく、自分の頭できっちりと状況をみる」こと、そしてそれをみなで共有することが出来たらいいなぁ、という思いから「ケーススタディ」を提案させて いただきました。またそのような「俯瞰的ポジション」を必要なときにとれるようにすることは、「感情的に巻き込まれすぎないですむ」というメンタル・ストレス・コーピングにつながっていくであろうことを期待しています。

さてケーススタディといっても一般の方々にはあまりなじみのない方法だと思いますし、ブログという形式上の制約もあります。そこでその制約の中でできる形に変えてしてみたいと思いますし、「こうでなければならない」というものは全くありません。ただケーススタディというものは、「場面」「客観的情報(子どもが 言ったこと、したこと、自分が言ったこと、したことなど)」「主観的情報(自分が考えたり、思ったことなど)」「考察」が分けられているといいと思いますので、もしみなさんがご自分でなさるときにもそのように記載をしてみることをおすすめします。・・・と言っているだけではぴんとこないと思うので、まずひとつ例をあ げてみたいと思います。私の場合は、()の中に「主観的情報」を記載しています。

場面:三輪車を押して、子ども(2歳)と一緒に買い物へ出かけた帰り。自分の手にはティッシュケース5箱を持っている。

1)三輪車に乗っていた子どもが、急に「だっこ!」と言い出す。
(手には荷物、そのうえ子どもを抱っこして三輪車を押して帰るのはつらい。その状況を説明して、三輪車に乗ってもらおう。)
2)「おかあちゃん、荷物も持っているし、こ初々ちゃんを抱っこしたら、三輪車持って帰れないよ。あともう少しだから、三輪車乗って帰ろう。」抱っこしながら説明する。しかし「いやだ!抱っこ!!!」しばらく同様の説得を試みる。
3)子どもは「抱っこ!」と泣き叫ぶのみ。
(うーむ、聞き分け悪し。これ以上の説得は無駄か?ちょっと気分を変えてみよう)
4)買い物で買ってきたヘアゴムを見せて遊ぶ。しばらくして泣き止み、笑顔がみられるまでに機嫌が回復。
(気分が変わってよかった。しばらくこのまま様子をみよう)
5)15分ほどその場で経過。しばらくして、自分から三輪車に乗る。
(無理やり動かさなくても、待てば自分でちゃんとできるんだなぁ)
6)100メートルほど三輪車に乗っているが、また「抱っこ!!」と言い出す。
(また!?あとちょっとなのに・・・もう一回説得するか・・・)
7)三輪車に乗るように説得するが、また泣き叫ぶのみ。「三輪車置いていく?」「ティッシュ置いていく?」等の言葉をかけると、よけいにエスカレートするばかり。歌をうたうなどしても泣きやむ様子はない。その間ずっと抱っこしているが、抱っこをして「三輪車を持って」「あっちへ行って」と要求してくる。
(すでに抱っこをしてもらいたいというよりは、「自分の要求を通したい」になってきている。しかしあまりに横暴なことを言うので、少々かちんときている。要求を聞いてやるべきか、しかし簡単に要求を通してやると次からも「ごねれば何とかなる」と思わないだろうかととても迷う。)
8)泣き叫ぶ子どもを抱っこして、おそらく30分ほどその場で経過。
(どうしても泣き止む様子がない。もうこれは折れるしかない。)
9)子どもを抱っこし、なんとか荷物を持ちながら三輪車を押して帰る。しかしその間ずっと大号泣で、泣きやむことはなかった。
(要求が通っても怒ったまんま・・・よっぽど気に入らんかったんだな。もっと早く要求をおれてやればよかった。どこでおれるか、というのは難しいな・・・)

考察:
なぜ子どもが突然「抱っこ」を要求したのだろうか?ただ単に抱っこをして欲しかったのか。あるいは「抱っこ」という要求を通して甘えたかったのだろうか。しかし「抱っこ」と要求されたときに、自分は荷物をたくさん持っていたため「抱っこをしたくない」という思いが先に動いた。だから説得をするときにも、おそら く「協力して」というニュアンスよりは「なんとか子どもを動かしたい」というような強行なニュアンスが態度に出ていた可能性が高い。その強行さに敏感に反応して、「いやだ」を強めてしまったのではないだろうか。次回同じようなことがあったときには、「お母さんを助けてね。」というニュアンスを前面に出して説明してみ よう。
また「どこで折れるか」というのはとても難しい問題のように思った。ごねられているときには、「あまりに簡単に折れてしまっては、次回からも頑張ってごねられるのではないか」とどうしても思ってしまう。そうすると何となく自分の態度に柔軟さが欠けて、頑なさが出てしまうようだ。「要求をきいて」「きかない」と いう出口のないやりとりになってしまう。だからまずは「今は今。次回は次回。」と思うようにしてみよう。「今」の子どもの様子を見て、「これはどうしても聞いてもらいたいんだな」「これは、ちょっと説明をしたら納得してくれるだろう。」という判断をしていくことにしよう。今回のケースは、おそらく「どうしても聞いて 欲しい」という場面だったのだろう。だから対応の仕方としては、一度要求を聞いてあげて、しばらく抱っこをしてやり、また「三輪車に乗ってね」とお願いしてみるという方法もあったように思う。


以上がひとつの例になります。(もちろん最近あった実例です・・・とほほ。大人の足で片道10分くらいのところにあるドラッグストアに行って、2時間近く帰ってこれなかった「ごねごね」例になります。)今回は長い例を出しましたが、たった二言三言のやり取りだって構わないのです。とにかく「心にひっかかった」 場面をじっくり思い出して、相手の様子はどうだったか、自分の気持ちがどう動いたのかを記載して、「あぁこういう気持ちでいたのかな」「だから私はこんなふうに振舞っちゃったんだな」「同じようなことがあったら、こうしてみるといいかな」ということを「考える」ことが出来ればいいなぁと思います。何度かしてみるうち に、おそらく「しんどい状況」や「楽な状況」にはそれぞれ共通点があると思いますし、「似たような状況」で「自分の頭を働かせ」「増やしておいた対応の引き出し」を使えれば、きっとただただ巻き込まれてグッタリ、あとから自己嫌悪、という悪循環をちょっとは断ち切ることができるように思うのです。そしてもちろん「考 察」は、わたしという限界をもった一人の人間の考察にすぎないので、これを読んで「いや、こういうことも考えられる」「こういう対応をしてもよかったんじゃないか?」ということがあれば、どしどし意見を出してくださると嬉しいです。それらは子育てをする仲間たちにとって、「自分の引き出しを増やす」という貴重な財産 になるはず・・・

そして「ケースの提供」も同時に募集いたします。「ちょっとやってみたけれど」という程度でもちろん構いません。形はどのようなものでも結構です。もし(サプライズのメンバーの方以外で)参加してくださる方は、私初々のメールアドレスまで送ってくだされば嬉しいです。メールアドレスは、プロフィールのページを参照してください。