デューク東郷の確率とジュースとウコンの確執

supply72009-01-24

きのうのトンビさんの写真を見て、「なんか、うちにも同じようなのあったな・・・」と思って写真フォルダを探してみると、やっぱりありました。でも、うちのは「ぜんまいざむらい」でした。しかも母の作品です。

ところで今、僕だけこの山奥の寒い町に帰ってきている。帰ってきてすぐ、実家にいったり、病院のある久留米に行ったり、なんとなく忙しさでまぎれていた感情がここ数日の一人暮らしのなかでフツフツと湧いてきている気もしないではないが、それは鶏アイス、じゃなかったとりあえずおいといて、この小さい町に暮らしていると、道の真ん中やお風呂でどうやったって知っている人に会う。ちなみに「道の真ん中」というのはちょっと誇張的な喩えであって、いくら小さい町だとはいえ、道の真ん中を歩いていたら車に轢かれてしまうだろう。

おお、久しぶり、しばらく見なかったね?なんて話しかけられて、ええ、まぁ、あの、実は昨年の12月30日に生まれました、あっ、そうなの、それはそれはおめでとう・・・なんて報告みたいな挨拶をしていると、だいたいの確率で「どっち?」という話になる。

女の子です、と答えると、だいたい次のような反応がいまのところよくかえってくる。

  • 「おおっ、男の子の次は女の子か。うまいねー」

いったい何がうまいというのだろう?

  • 「一人目は男の子だったから、女の子ねらったの?」

ねらえるかっ!
っていうか、そういう狙いって、デューク東郷でも成功確率は射撃の場合よりかなり下がるぞ。たぶん射撃100%に対して95%ぐらいまで*1下がるぞ。

あと、なぜか名前は聞かれない。他人の子どもの名前に興味なんてないのだろうか。でも、名前を聞かないという気持ちも、わからないでもない気がする。ちょっと道端であったついでに聞くというよりも、実際にその子を目の前にして、名前の由来はもちろん、決まるまでに上がった候補や決定の過程、決定の決め手なんかを、こう、お茶でも飲みながら聞きたいほうだから、僕も名前を聞くことについては慎重になるかもしれない。

と言いつつ、ふつうに「名前は決めたの?」って聞きそうだけど。

総入歯、じゃなかった、そういえば、ぼっちゃんが生まれたときも何人かのひと(特に女性)が同じようなことを僕らに言った。

  • 「一人目が男の子で、おうちの方も喜ばれたでしょう?」
  • 「まずは男の子だったから、これで安心ね」

言われた瞬間、何を言っているのかわからなかった。なぜ一人目が男だと家の人間が喜ぶのだろう?別に、女の子でもうれしいに決まってるじゃないか?まずは男で、何が安心なのだろうか?未来は未知と偶然にあふれているのだから、男に生まれたという事実それ自体が何らかの安心を保証するとは限らないのでは?と、いろんなクエスチョンが頭を嵐のように通り過ぎたが、そこはホッチキスも大人なので「え?あ?まぁ、あはは」と流した。

もちろんその人達も、別に何か特殊な意味を込めて発言しているわけではないだろう。ただ単に、僕らに子どもができたことに対しておめでとうと言いたかっただけなのだ。
別にそういう価値観や、そういう価値観のを持つ人がどうこうということではなく、親になるということは、「そういう考え方もあるんだ・・・・」という未知との遭遇的経験への入り口であるということを、そのとき知った(僕が)。

話が逸れたついでに話を戻すと、もっと写真フォルダを探していると、僕が作ったオムライスの写真が出てきた。モデルは「でこぼこフレンズ」の中でもぼっちゃんのお気に入りであるフォッフォ氏。

*1:しかし数学的にはデューク東郷でもやはり50パーセントか?