押しの強さと様々な解法

こんどの火曜日でウニャ子の人生も3週間目に突入する。「人生50年」、「苦節30年」、いろいろな言い方があるけれど、「人生3週間」って、あまりにも語ることが少なすぎる気がするけれど、同時にあまりにも語ることが多すぎる気もする。


がばちょさんのエントリーを読んで、「相部屋って、やっぱ良いもんだな」と思っていたのだが、今度の病院は全室個室だった・・・。
台所・バス・トイレ・冷蔵庫・液晶テレビ付きで、僕が学生時代住んでいた部屋よりもきれいで陽あたりも良好だ。テーブルの上に写っているのは夕食のデザートのフルーツ盛。

30日に生まれたので、妻はもちろん正月も病院。「年末年始は職員が少なくて食事も質素になる」という妊婦界の噂を耳にしていたが、ハートカクテル産婦人科ではけっこうちゃんとしたおせちが出た。

ウニャ子を抱いたままふと隣を見るとぼっちゃんが座っている。おんなじ顔だ。すると不思議な感覚に襲われる。どんな感覚かと言うと、「同じ顔、というか一人の子どもの生後間もなくの時期と、3才の時期という全く別の時系列の出来事が同時に存在している」*1という感覚だ。

比較して云々というのは教育的見地からしてちょっとアレな気もするが、しかし、コレとアレを切り離して、アレはアレとして、やはりアレはコレとは違うだろう、というふうに考え直して、誤解を覚悟でアレすると(無意味な文章だ)、ぼっちゃんが生まれたばかりの頃と比べると、ウニャ子は声がデカい。出てきた時の第一声の泣き声からしてデカかったが、それに、乳を要求する時も、ずっと押しが強い。これが二人目の強さというものなのだろうか・・・と甘やかされて育てられた長男の僕なんかは少し嫉妬すら感じてしまう。

ぼっちゃんはじいちゃんちに導入されているケーブルTVに夢中。だって、チャンネルによっては一日中アニメや特撮ものが流れているのだ。ぼっちゃんは「天才バカボン」もおぼえた。
ところで、僕は子どもの頃から頭が悪かったので太陽が東から昇るのか西から昇るのか(太陽が昇る方角を東と呼ぶのか、西と呼ぶのか)、なかなか憶えられなかった。だから理科のテストで太陽の昇る方角の問題が出たらバカボンの歌の「西からのぼったおひさまが ひがし〜にしぃ〜ず〜ぅむ〜」という一節を脳内再生し、「その逆だから・・・」という風に問題を解いていた。

妻にこの話をすると、「自分もそうだった」と思いがけず賛同者に出会うことができててうれしかった。けっこう世の中、同じような人って多いのではないだろうか。

さあ、恥ずべきことではありません。みなさんもカミングアウトを!

ところで、「憶えられなかった」とか「解いていた」と過去形で描いたが、実は30過ぎた今でも、この「バカボン解法」をやらないと自信をもって「太陽は東から昇る」と言うことができない。

*1:しかし、別の時系列を並列的に「同時」と形容することは文法的に正しいのだろうか?